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2006年9月 4日 (月)

8月20日「後鳥羽天皇践祚せらる」

8月20日 天気晴れ、
「後鳥羽天皇践祚せらる」
此の日立皇の事有り(高倉院の第四の宮、御年は4歳、母は故正三位修理太夫信隆卿の娘)。兼日、頗りに其の沙汰有り。先ず高倉院の両宮(三宮と四宮)を以て、占いにより(三宮が第一に立つ)の処、官(神祇官)・寮(陰陽寮)共に第一が吉の由を申した。その後、女房の夢想の事有り(詳細は先日の日記を見る。四宮立ち給ふべきの由である)。又義仲は加賀国においでの宮を引級した(詳細は先日記を見る)。此の如き間、更に又御占い有り(今度は四宮を一と立て、加賀の宮を第三に立てたようだ)。又第一が吉の由を占い申した。第二は半吉、第三は快からずのようだ。占いの形を以て義仲に遣わすの処、おおいにいきどおりうらみを申し云う、先ず次第の立て様、甚だ以て不当である。御年の次第に依れば、加賀宮を以て第一に立つべきである。そうでなければ、又始めの如く、兄宮を先とせられるべし。事の態、いつわりに似たり。故三条の宮の孝行を思案せざるの条、大いに以て遺恨のようだ。しかれども一昨日重ねて御使いを遣わし(僧正俊尭、木曽の定使なり)、数遍往還し、ついに御定めに有るべき由を申した。依ってその後一決したようだ。
(以下略)
「良通参院」
「御名字定」
「伝国宣命を奏聞す」
「人々閑院に参る」
「若宮御着袴の後閑院に渡御せらる」
「主上出御」
「左大臣経宗作進の践祚次第」
「践祚の間の不審条々を兼光に問う。」
「兼光返事」
「蔵人頭」
「五位蔵人」
「六位蔵人」
「殿上人」

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