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2006年9月23日 (土)

10月9日 「頼朝忽ちに上洛すべからざる故を申す」

10月9日 天気晴れ、
「頼朝忽ちに上洛すべからざる故を申す」
静賢法印が来た。世間の事を談じた。頼朝が使者を進上した、忽ち上京する事が出来ないようだ。
「藤原秀衡頼朝上洛の跡入る事を恐る」
1は(藤原)秀衡・(佐竹)隆義等が上京の跡に入れ替わるだろう。
2は数万の軍勢を率いて、入京すれば京中は堪える事が出来ない。
この二つの理由に依り、上京は延引したようだ。凡そ、頼朝の様子は、威勢厳粛、其の性強烈、成敗分明、理非断決のようだ。
「志田義広の上洛を欝申す」
今度、使者を献上し、不快を申す所は、三郎先生志田義広の上京である(本名義範)。叉義仲等は、平氏を追討せず朝家を乱した、尤も奇怪、しかるに忽ち報償を行われたのはおおいに謂われ無しと。申し状等にその道理は有るか。この他多く雑事を談じた。詳細に記録する事は不可能だ。
 伝聞、義仲は播州(ばんしゅう、播磨、兵庫県南西部)を経廻し、もし頼朝が上京すれば、北陸方へ超えて逃げるべし。もし頼朝が忽ち上京しないならば平氏を討つべし由の準備をするようだ。
「小除目」
今日、小除目があったようだ。陰陽頭の賀茂宣憲は名誉無しと雖も、代を重ねる老衰により、抽任せらるるか。尤も然るべし。
「頼朝本位に復す」
叉頼朝がもとの位に復帰する由の指図が下されたようだ。

10月10日 朝晴れ、午後陰風吹き
「日吉諸社に一階加う」 (略)
「紀伊国丹生・高野社」 (略)

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