« 6月21日 [吉記]「賊徒の事に依って、山稜使を立てらる」 | トップページ | 7月3日「賊徒入京の時期につき諸説あり」 »

2006年8月 4日 (金)

7月2日「義仲・行家四方より寄せんとす」

7月1日 晴れ、
「賊徒今日入洛すべしの由兼日風聞」
 反乱軍が今日入京すべしの由が連日風聞した。しかるにその事無し。伝聞によると(前筑前国司、平)貞能が会議で申し云う、追討使を派遣すべきではない、只勢多(瀬田、滋賀県大津市)辺りにおいて相待つべしとのようだ。今日、病気は殊に成す術無し。法皇は今日賀茂社に御参りし、お通夜有るべしのようだ。

7月2日 晴れ、
 10時頃、右大弁(平)親宗が法皇のお使いとなり来た。物忌みと雖も勅使であるので之を呼び入れ、重病なので簾(すだれ)で隔てて之に会見した。
「賊徒入洛の時院御所に行幸有るべきかにつき法皇より諮問せらる」
法皇のお仰せでは、反乱軍が入京すべき由が風聞した。その事もし事実ならば、法皇の御所に天皇がおいでになるべきか。しかるに内侍所(やたの鏡)は京外におはします事はいかにすべきか。兼ねて又、上皇の御所は定めて物騒のようだ。其の故は、平家の武士等が守護の為定めて御所辺りに待機している。しかして反乱軍が打ち入らば、たとひ君に於いて害心無きとも、守護の武士と雌雄を決するため、狼藉を致そうと云う。すでに戦場と為るべし。此の事はいかにすべきか。二つの事について計略し申し上げるべしといえり。
「兼実申し状」
私は申し上げた。反乱軍が京都に乱入の程の事、特別の事である。法皇・天皇が同居の事、なりように従うべきである。もし天皇がおいでになることが有らば、賢所(内侍所)は格別の儀、京外に候べからざる事、一切の遠慮有るべからず。是は通常の時の儀である。上皇の御所の狼藉の事、臨機応変に指図するべきである。連日の案は叶うべきではない。此の事は、はなはだ重要である、短慮は及び難きかといえり。親宗云う、左大臣(藤原経宗)に同じく此の問い有り。他人に及ばず。かの左大臣が申し云う、内侍所(やたの鏡)は役人を付き従え、温明殿(うんめいでん、神鏡を安置する殿舎)に有るべきか。反乱軍は内侍所を取り奉るべからずの故なりと。
「左大臣の申し状に兼実甘心せず」
此の申し状にはいささかの考えが有りか。然るに私は感心しない。行幸有らば、剣爾(草薙の剣と八坂の曲玉)はつれそい奉られるべし。賢所(やたの鏡)許りが天皇を離れ奉ると雖もなすべき方法が無い故である。今日午後天気陰る。16時頃、中御門大納言(藤原宗家)・前源中納言(雅頼)・左大弁(源経房)等病気見舞いの為に来た。各々之には会見せず。人を介して感謝を遣わした。重病の上、物忌みの為である。
「鳥羽天皇国忌」
今日、鳥羽院の御国忌に依り、法皇(今旦賀茂より直に鳥羽へ幸するなり)、及び八条院(法皇の妹)は鳥羽においでである。
「義仲・行家四方より寄せんとす」
伝聞、源頼朝は忽ち出るべからず、只木曽冠者・十郎等が、寄せ手を四方に分け、寄せるべし由を議定したようだ。
「僧事」
去る夜、僧の人事異動が有り。法印澄憲(前権大僧都)、権大僧都覚憲(山階寺権別当)、法勝寺の御八講の証誠共に為したようだ。

|

« 6月21日 [吉記]「賊徒の事に依って、山稜使を立てらる」 | トップページ | 7月3日「賊徒入京の時期につき諸説あり」 »