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2006年8月12日 (土)

7月23日[吉記]「明雲が下京」

7月23日
六波羅のあたり(平家方)、嘆息の外他事無しのようだ。
「法皇法住寺御所に渡御」
今朝、法皇は法住寺御所においでのようだ。世間が物騒のためのようだ。

7月23日[吉記]「明雲が下京」
 早朝、比叡山延暦寺の座主の明雲が下京した。直ちに法皇に参上した。風聞にいわく、僧兵等申し云う、反乱軍等すでに山上に居住した。合戦に及ぶといえり、天台仏法破滅しむに異議無しか。和平されるべしの由、仰せ下されるべしの旨、座主を以て法皇に申し上げたきようだ。

7月24日 晴れ、
「法皇法住寺御所に行幸」
この一両日江州の武士が比叡山に登る。今夜、夜打ち有るべきと風聞した。よって忽ち法住寺の御所においでになられた。殆ど夜明けの空に及ぶようだ。
「兼実等法性寺に避難」
此の辺りは恐れ有るにより、私と女房は相伴い法性寺家に避難した。

7月24日 [吉記]「行家は大和の国に着く」
 十郎蔵人行家は伊賀を超え、すでに大和の国の宮河原に着くの由、別当僧正が殿下に申された。資盛卿は貞能を相伴い帰参すべきの由、泰経を奉行として仰せ出されたようだ。追討を奉る者は、未だこの例を聞かず。而る間猶帰京せず。本これ宇治一坂辺に宿泊した。件の所より八幡南を廻り、河尻方に向かう。これは多田蔵人大夫(源)行綱の命令と称し、太田の太郎頼助が、或いは九州の兵粮米を押し取り、或いは乗船等を打ち破り、或いは河尻の人家を焼き払うようだ。この事を鎮める為、先ず行き向かうようだ。

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