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2006年8月11日 (金)

7月22日「行家大和国に入り宇多郡に住むという」

7月22日 朝間天陰、辰の刻(8時)以後晴れ、
 午前6時頃、報告あり。江州の武士等すでに入京し、六波羅あたりは物騒極まりなしのようだ。また聞く、入京は実説に非ず。
「比叡山の僧綱下京す」
 しかるに地元の武士等は比叡山に登り、講堂前に集会したようだ。ひごろ登山の僧綱等は併せ下京した。但し座主(明雲)一人下京しないようだ。無動寺の法印(慈円)同じく下京した。
「行家大和国に入り宇多郡に住むという」
 また聞く、十郎蔵人行家は大和国に入り、宇多郡に住し、吉野の僧兵等が味方したようだ。よって資盛、貞能等は江州に赴かず、行家の入京を相待つようだ。(平)貞能は昨夜宇治に泊まり、今朝多原の地に向かおうとするの間、この事有り。よって彼の前途を止め、この入京を相待つようだ。
「源行綱、平家に謀反、摂津・河内に横行」
 また聞く、多田蔵人大夫(源)行綱、従来は平家に従属した。近日、源氏に同意するの風聞あり。しこうして今朝より忽ちに謀反し、摂津河内両国に横行し、種々の悪行を張り行なう、河尻の船等を略奪したようだ。両国の人民は皆悉く味方したようだ。
「丹波追討使大江山まで引き退く」
また聞く、丹波の追討使、(平)忠度、その勢は敵対するに非ずの間、大江山まで引き帰したようだ。およそ一々のこと直事に非ざるか。今日、上皇の宮に、公卿が相参集し、議定の事有りのようだ。私も同じくその招集有りといえども、病気なので参上しなかった。今日、同宮においで有るべしの由、その議定が有りと雖も、縁起が悪いので延引し、明後日おいであるべしのようだ。

7月22日 [吉記]「知盛・重衡等は勢多に向かう」
 源氏等は東坂並びに(比叡山延暦寺の)東塔惣持院に上り、防御陣地を構え居住するようだ。12時頃、平中納言(知盛)・三位中将(重衡)等は勢多に向かう。共に甲冑を着け、両人の軍勢は二千騎に及ぶようだ。また夜に入り按察大納言(頼盛)が下向した。今夜、各々山科の辺に宿泊するようだ。

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