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2006年8月 9日 (水)

7月17日「師景文書紛失」

7月17日 陰晴れ不定、
「師景文書紛失」
 右衛門権佐(藤原)定長が来た。呼び出しに依るものである。師景の文書が紛失の間の事を申した。節境中間と雖も後の恐れのためである。
「兼実不例により諮問に漏れるという」
定長は云う、法皇の御使いを江州へ遣わされる間の事、兼実に同じく問われるべき由の仰せが有りました。しかるに御病気に依り、具合が悪いの由と称し、(大蔵卿、高階)泰経は参らずのようだ。この事は理由が無い。屋敷に来たりて之を問う。病気に依るべからず、但し此の如しの事、偏にお尋ねに応じて意見を述べた。悦ぶべきである。

7月18日 雨下、
「泰山府君祭」
恒例の泰山府君の祭である。
(注釈)
泰山府君・・・中国山東省にある泰山の神。人の寿命・福禄をつかさどる。陰陽家や仏家で祭る。

7月19日 晴れ、
「師景文書の内天文書進上すべしとの勅報あり」
右衛門権佐(藤原)定長が来た。師景文書の間の事を仰す。先日、天子に申し上げるの勅報、師景の約束状に任せ、早く指図致すべし。天文書を撰び進上すべきである。その他の書籍は、お前の進退である。そもそも文書紛失の事、早く尋ね沙汰すべし、法皇より御指図は然るべからずといえり。

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