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2006年8月16日 (水)

7月28日「義仲・行家入京す」

7月28日 天気晴れ、
「義仲・行家入京す」
 今日、義仲・行家等、南北より(義仲は北、行家は南)入京したようだ。夕方に左少弁光長が来て語る、義仲、行家等を蓮華王院(三十三間堂の寺号)御所に召し、追討の事仰せ下された。大理(藤原実家)が殿上の縁にてこれを命じた。かの両人は地にひざまづき承る。御所であるためである。
「かの両人権を争うの意趣あり」
参入の間、かの両人相並び、敢えて前後せず。争権の意趣これを以て知るべし。両人退出の間、頭弁兼光が京中の狼藉を停止すべき由を命じたようだ。今朝、定能卿が来た。法印(慈円)は昨日下京した。

7月28日 [吉記]
「義仲行家御前に召し、前内大臣追討すべし由仰せ下さる」
 武将二人、木曽の冠者義仲(年三十余、故義方の男子、錦の直垂を着し、黒革威のよろい、石打の矢を負い、折烏帽子。小舎人童取染の直垂、劔(つるぎ)を帯し、また替矢を負い、油単を履く)・ 十郎蔵人行家(年四十余、故為義の末子、紺の直垂を着し、宇須部の矢を負い、黒糸威のよろいを着し、立烏帽子。小舎人童上髪、替矢を負う。両人の家来は相並び七八輩分別せず)参上した。行家先ず門外より参入して云く、御前に召されし両人は相並び同時に参るべきか。然るべきの由仰せられたようだ。次いで南門に入り相並び(行家左に立つ、義仲右に立つ)参上した。大夫の尉知康がこれを補助した。各々御所東庭に参進し、階隠間に当たり蹲踞した。院庁の長官が公卿の座北簀子(すのこ)の下に配置し、切石のある階下の前に進むべきの由これを仰せられた。然れども両将進まず、西面に蹲踞した。大理(藤原実家)が命じて云く、前の内大臣(平宗盛)の徒党を追討し進上すべきである。両人は唯(はい)と称し退出した。忽ちこの両人の様態を見るに、夢か夢に非ざるか、万人の注目、筆のはこびの及ぶ所に非ず。頭の弁が下知し相対し、仰せ含めの旨有り。
(注釈)
直垂(ひたたれ)・・・正面のえりの左と右がわとを垂らし引き違えて合わせる。
威(おどし)・・・よろいのさね(小板)を糸などでつづること。
石打(いしうち)・・・鷲の尾の両端の羽を矢羽として使用する。
折烏帽子(おりえぼし)・・・頂を折り伏せた烏帽子(黒い袋形のかぶりもの)。
童(わらわ)・・・髪を束ねない。
取染(とりぞめ)・・・所々に細い横筋が出るように染めたもの。
油単(ゆたん)・・・ひとえの布・髪などに油をひいたもの。
立烏帽子(たてえぼし)・・・中央部の立った烏帽子。
蹲踞(そんきょ)・・・両膝を折り、うずくまり頭を垂れる敬礼。

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