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2006年8月14日 (月)

7月26日[吉記]「山僧等京に入る」

7月26日 晴れ、
「日野への路塞がるにより首途能わず」
 あけがた、日野に向かおうとすの間、その道は切り塞ぐにより、出立する事は出来ない。この間昨日帰京の武士等、成すこと無く、また逃げ去った。帰京の本意、未だその意図がわからない。武士の弱腰、所行の無礼、奇異の至り、例え取る物無し。
「法性寺に帰る」
 8時頃、法性寺に帰る、
「貞能より書札ありて比叡山に向かう」
 10時頃、(肥後守、平)貞能卿より書状を送り云う、御参上の事申し上げた。早く御参上有るべし。入道関白(藤原基房)も同じく参入される所であるようだ。早速出立し、14時頃に登山した。(鳥帽直衣(えぼしのうし))、前駆(さきがけ)・共人相並びに8人、各騎が馬車の前に在り、(藤原季経、藤原経家と坂下で参会)、侍45人、17時頃に西坂下に就く(九条より牛3頭なり)。手こし遅延の間、しばし経るほどに、18時頃に、こしとこしかき等が到来した(無動寺法印慈円の指図である)。即ちこしに乗り、西坂を登る。共人は皆悉く歩行した(坂口56町なお騎馬)。前駆等はこしの前を歩む。
「源雅頼に出逢う」
 路頭において、源(雅頼)納言に逢う(その子息の源の兼忠を相伴う)。こしを据えおき、共人を退け、会談した。納言は言う、三種の神器は賊臣の平家軍が悉く盗み奉り取った。左右無く平氏追討すべしの由、仰せ下さるの条、甚だ不便である。先ず、三種の神器の安全の沙汰有るべし。よってこのむねを申し上げ、許可有り。(右大弁、平)親宗を以て、御手紙を多田蔵人大夫行綱の許へを遣わした。この事猶、おおまかな沙汰なり。よって内内に女院(建礼門院)もしくは時忠卿(件の卿は平家軍と伴なうと)の許に仰せ遣わさるべきの由、重ねて以て申し上げた。しかるべし由仰せ有るようだ。即ち過ぎたり。
「慈円の青蓮院の房に着す」
 20時頃に東塔の南谷青蓮院に到着した。是より先、院主は法印(慈円)が任命された。無動寺よりただ今到着したようだ。件の房、伝嶺の後未だ到着せず。今日は吉日の為により、即ち移徒を用いるの由談ずる所である。
「法皇の御所に参る」
 私は暫し、休息の後、法皇の御所に参上した(円融房、是座主の房である)。路の間前駆等は松明を取り前を行く。その程45町ばかりである。私は鳥帽子、直衣、手こしに乗る、(参議大納言、藤原)定能卿を以て見参に入る。お呼びに依りて御前に参り、暫し慎みてひかえて粗く思う所を申し上げた。三種の神器と源氏入京の間の事である。ただ和をそしるの怖れ有りと雖も、なんぞこれ忠在りによる、納得か否かに於いては法皇のお考えに在り。法皇曰く、西海方面に連行さるべしを聞くにより、密行する所であるようだ。
「神爾紛失の事及び以仁王の事を法皇に問う」
 私は両条の不審を問い申し上げた。一は三種の神器紛失の事、(去る治承4年の日、盗み取られの由その聞こえ有り)、一は三条の宮(以仁王)が生存か否の事、仰せに曰く、両事共に真偽を知らず、但し、風聞の旨、共に以て実に非ずか(三種の神器は失せず、以仁王は生存ぜざる由なり)、しばらくしてから退出した。

7月26日[吉記]「山僧等京に入る」
 比叡山延暦寺の僧兵達などが、京都市内に入ってきた。道路付近の乱暴乱雑な状態は多すぎて数え切れないほどだ。平家の武将のゆかりの家だとして火を付けたり、追捕だとして略奪した。人の住む家で完全な所は無くなった。眼前に天下の滅亡を見る思いだ。悲しい事だ。幸いにも私の家はこの災難を免れた。まさに仏様神様のお助けである。

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