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2006年8月30日 (水)

8月14日「義仲以仁王の王子を推す」「王者の沙汰に至りては人臣の最にあらず」

8月13日

8月14日
夜に入り、大蔵卿(高階)泰経がお使いとなり来た(是より先、招集が有り、病に依りその由を申した。依って来る所である)。私は、すだれを隔ててこれに会見した。
「践祚の事につき法皇より諮問せらる」
泰経が云う、天皇の即位の事、高倉院の宮が2人、(一人は平義範の娘の子供で5歳(惟明親王)、一人は藤原信隆卿の娘の子供で4歳(守貞親王))の間で、思案する処、以っての外の大事が出現した。
「義仲以仁王の王子を推す」
義仲が今日申し云う、故三条の宮のご子息の宮が北陸に在り。義兵の勲功はかの宮のお力に在り。依って立王の事に於いて、異議有るべからざる由の所存であるようだ。依って重ねて俊尭(ぎょう)僧正を以て(義仲と親密たる故)、詳細を仰せられて云はく、我が朝庭の習い、君主の位の受け継ぎは武力を用いずを以て先と為す。高倉院の宮が両人おいでであり、其の王者の子孫を置きながら、強ちに孫王を求められる条、神のみこころは測り難し。この条猶不適切であるようだ。義仲重ねて申し云う、此の如き大事においては、源氏等が執着し申すに及ばずと雖も、大略の道理を思案するに、法皇が御隠居のおり、高倉院は権力を持った家来(清盛)を恐れて、政治を行う事は無きが如し。三条宮はこのうえない孝行に依り其身を亡した。どうして其の孝行を考慮し忘れないことがあろうか。猶この事其の気のふさぎを散じ難し。但し此の上の事は法皇の英断に在りといえり。此の事いかにと協議し申し上げるべしといえり。申し云う、他の朝議に於いては、事の許すか許さないかを顧みず、諮問ある毎に私の愚見を述べた。
「王者の沙汰に至りては人臣の最にあらず」
王者の英断に至りては、人臣(けらい)の最上のものに非ず。昔法皇の御字の始め、近衛上皇の死去の後、誰を以て主と為すべきやの由、鳥羽院は此の法性寺入道相国(藤原忠通、兼実の父)に問い仰せられた。たちまち奏するに我が君の御事を以てした。彼の言に従い即位はすでに終了した。かの時猶神の見張りを恐るるに依り、二度三度よしあしの判断を言わず、只王の英断を願い、王の質問が再三に及びし時、道理を以て申し上げた。朝庭の重臣、国家の元老、猶重事の軽からざるを恐れ、るる自から専らにする能わず。況や区々の末生、愚かな臣下、得て言上すべきではない。偏に法皇の英断に任せ、当然にお占いを行ふべき由、協議し申し上げるべしと雖も、其の条も猶恐れ有り。只法皇のお考えの欲する所を以て、天運の然らしむ由を存ぜしめおはしますべきかといえり。奏経は退出した。

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