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2006年8月20日 (日)

7月30日 続き2「勧賞行なわれるならば除目の議如何すべきか」

7月30日 続き2
「勧賞行なわれるならば除目の議如何すべきか」
 この間、私は左府(左大臣の藤原経宗)に質問した。もし勧賞者に行なわれるなら、除目の議いかん。左府曰く、この事難題である。一昨日議定の時、問われると雖も除目は有るべきや否や、その間の議に於いては、未だその沙汰に及ばず。ただしおもわくは、院の殿上に於いて、下名を行われるべしということだ。春秋の除目のように、官の外記の庁に於いて下さるべし。私は曰く、庁において下名を下さるべくば、ただ陣(公卿が列座)において除目を行われるべきだろう。およそ宣旨(天皇の命を伝える公文書)・官符(太政官符)を以て施行される事等、皆庁の御下文(くだしぶみ)に改められた。それたちまち法皇の御指図である。宣旨を成し、官府を請印する条、しかるべからざる故なり。何ぞ下名に至り其儀破るべきや。すべて院の殿上の除目、甚だ感心せず。左府云う、この事もとより世にまれな権儀である。然れども他の計略が無きに依りこの儀がある。私は云う、勧賞に於いては、ただ内々にその人に仰せ、新天皇の即位の式の時、除目に戴せらるべきだろう。左府云う、諸国多く以って国司の欠員有り。併しながら口で述べるの条は穏便ではない。私は云う、他の任人に於いては暫く相待つべきだろう。長方卿云う、そもそも天皇のお帰りを相待つ条、もっとも以て不定である。立王の事、何時を以て期すべきなのか。私は云う、事の肝心ただ是に在り。左府云う、勅問(天皇の質問)に就き評定すべきである。この条は尋問されなかった。進上し申し上げる条、便無かるべきか。このような協議の間、兼光帰り来たりて云う、勧賞、除目その儀いかん。宣しく協議し申しあげるべしということである。忠親卿云う、準拠の例を外記に問われるべきだろう。左府が善しと称した。たちまち兼光を以って之を問う。帰り来たりて申し云う、

「行幸賞の如く其人に仰せて後日除目に載せるが宜しかるべし」
頼業・師尚等申し云う、諸社の天皇等のおでかけ等の賞の如く、先ずその人に仰せられ、後日、除目に戴せられるのが宣しい。又嘉承に摂政の詔、先帝崩御(堀河天皇)、新主(鳥羽天皇)末だ御いでにならず、法皇の詔を以て、仗下(公卿が列座)に於いて下された。然れば、新儀を以て殿上に於いて行われた、また御定めに在るべし。但し、初の議は穏便か。且つ、是(源)時中参議を任ずるの例である。(円融院、太井川逍遙、舞いの賞に依り、参議に任ずる由を仰せられた。後日除目に載せられた。此の事は小野宮記に見える。かの記の意、上皇の宣を以て参議を任ぜらる条、甚だこれを難ず)人々皆此の議を以て是(ぜ)と為した。左府又こだわりを破り之に同じた、兼光が帰参した。たちまち帰り来たり云う、各議奏の趣、皆以てしかるべし。早くこの定めに行われるべしということである。今に於いては、各御退出在るべしということだ。私はたちまち退出した。
「摂政下京」
摂政(基通)今日京に下るようだ。数日山上に在り。人々は奇異と感じたようだ。
「慈円来る」
今日法印(慈円)が来られた。ふだんの如く西家に居住した。今日より僧一人吉田社に籠もり、七日の間、仁王講を修業するようだ。又進物を奉る。
(注釈)
除目(じもく)・・・国司等の任官の儀。
請印 (しょういん)・・・ 文書発給に際して内印(天皇印)もしくは外印(太政官印)を押捺すること。

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