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2006年7月21日 (金)

4月14日「武士等狼藉」

4月10日 
「除目聞書を披見す」
人事異動の文書をひらいて見た。耳目を驚かす事、先々に超過した。中務少輔(源)兼親(この事は私が推挙すべしの由再三申した。不当に依り執り申さず、しかるに寵臣の女房(成房の妻)につき奏達したようだ)。少将(藤原)宗長(刑部卿頼輔の孫、豊後前守頼経の子、近日の寵臣のようだ)三品両人(源顕信・藤原季能)等、未曾有の事である。凡そ後世の人は官位の望みについて敢えて其のすべは無しの事か。弾指すべし、警告すべし。

4月13日
「賀茂祭警護」
武者の家来等が、近くの畠を刈り取るの間に狼藉のようだ。警護の儀式を指揮する公卿は(中納言藤原)実宗卿のようだ。

4月14日 雨下る、
「武士等狼藉」
武士等の狼藉は昨日の如しのようだ、凡そ近日の天下この乱暴狼藉に依りて上下騒動した。人馬や雑物を、通路で眼につくものは横より奪ひ取る。
「平宗盛に訴えるも止まず」
前内大臣(平宗盛)に訴えると雖も、成敗するすることは出来ない。制止の要請が有りと雖も、更に以て制法に違反しないようだ。京都以外の所の事に於いては知ることが出来ない。京都近辺の秩序を乱す乱暴狼藉は大いにおそれおののくことである。仍って前内大臣の許に連絡を遣わした。制止すべしの報告が有りと雖も、更に其の終始は無し、実に悲しむべき世である。

(解説)
平家軍は義仲追討軍の出発にあたり、京都内外で追捕(ついほ、ついぶく)を始めたようである。この後、平家物語の北国下向に記述される追補の乱暴狼藉が続くことになる。平宗盛の申請により法皇や公家は黙認したようだが、著者の兼実には追捕について連絡が無かったようである。

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