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2006年7月30日 (日)

6月4日「北陸の官軍潰滅す」

6月4日
「北陸の官軍潰滅す」
伝聞、北陸の官軍は悉く以て敗績した。今朝早くに飛脚が到来した。官兵の妻子等が泣き悲しむ事は極まり無しのようだ。この事は去る1日のようだ。早速の風聞(うわさ)疑い有りと雖も、六波羅の気色(気持ち、気分)損ずる事のようだ。
(注釈)
六波羅(ろくはら)・・・京都鴨川の東、五条と七条の間の土地、平家一門の居宅六波羅殿があった。
(砺波山、倶利伽藍峠の合戦のようである。)

6月5日
故女院(皇嘉門院)御月忌に依り御堂に参る。
「中原有安北陸の官軍敗亡の子細を語る」
 前飛騨(岐阜県北部)の守中原有安が来た。官軍の敗亡の詳細を語る。四万余騎の軍勢のうち甲冑を帯びる武士は僅か45騎許りである。その外の過半数が死傷した。其の残り皆悉く武具を棄て、山林に交わり、大略そのきっさきを争うよろいをつけた兵士等、併せ以て切り取られたようだ。平盛俊、平景家、藤原忠経(以上の三人はかの平家一門の第一の勇士である)等、各ひとえもので前を結び、束ねた髪を引き下して逃げ去った。希有に存命したと雖も、従者を一人も伴わないようだ。凡そ事態はただ事ではない。誠に天の責めを蒙(こうむ)るか。敵軍は僅か五千騎に及ばないようだ。かの三人の郎等は大将軍等と権盛を相争う間に、この敗戦が有るようだ。
「官軍敗績の事につき院評定あり」
今日法皇より招集が有り。北陸の官軍の敗績の事について定められる為である。しかるに病と称し参入しなかった。病は重からずと雖も、多くの人の出仕の故及ばざる故である。

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