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2006年7月 5日 (水)

10月11日「熊野行命法眼伐落とさる」

10月11日 陰晴不定 
「熊野行命法眼伐落とさる」
 伝聞、熊野の行命法眼(南法眼と称し、熊野の者どもの中、ただ一人官軍に志が有る者である)、上洛しようと欲するの間、散々に伐ち落された。僅かに身命を存すと雖も、子息や家来は一人残らず伐ち取られた。その身は山中に迷い入ると雖も、安否猶不定のようだ。これは志賀在庁の者の所為のようだ。今に於いては、熊野方面は一切異途無く統一されたようだ。また聞く、追討使等は今日の下向は延引した。来る十三日も猶未だ一定せずのようだ。越前の国は無人の由聞こえ有りは誤りの説のようだ。殆どその勢力は数万に及ぶの由、今日逃げ上る所の身分の低い者が、談説せしめたようだ。

10月13日 陰晴不定 
「追討使等下向延引」
 今日、追討使等は下向すべしのようだ。而るに延引した。来る十六日のようだ。伝聞、吉野の法師達が高野(庄論の由を称す)に向かうべきの旨、風聞を成した。その実、南都(奈良)に打ち入り、平家の家来等を誅伐し、その後入洛すべきの由を謳歌した。この條、実説か否かを知らずと雖も、衆徒(僧兵)蜂起に於いては一定のようだ。

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