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2006年7月 9日 (日)

3月12日「頭の弁親宗院の御使として宗盛第に向かう」

3月12日 天晴 
「頭の弁親宗院の御使として宗盛第に向かう」
夜に入り人伝えに云く、今日12時ばかりに、頭の弁親宗朝臣、法皇の御使として前の幕下(平宗盛)の屋敷に向かう。(何事か知らず)
「宗盛親宗を責める」
大将人を以て親宗に示して云く、天下の乱、君の御政の不当等、偏に汝の所為である。故禅門(平清盛)は、遺恨有るの時、直にこれを報答した。宗盛に於いては、尋常を存じ、万事存ぜざるが如く、知らざるが如し。仍って事に於いて面目を損じた。頗る怨み申す所であると。
「親宗門を閉じる」
親宗は迷惑した。逐電し退出の後門戸を閉めたようだ。

3月17日    [吉記]
「兵粮米徴収を検非違使庁の遣いに託す」
近日諸国の庄々に「兵粮米」を重ねて苛責有り。検非違使庁の使を付けらるべき由、院宣を下さる。行隆朝臣沙汰である。上下色を失う事か。

3月19日 天晴 [吉記]
「道路に死骸充満」
道路に死骸充満するの外他事無し。悲しむべきの世なり。

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