« 8月16日 [吉記]「通盛北陸道追討使」 | トップページ | 9月6日「熊野湛増関東赴くという」 »

2006年6月28日 (水)

9月1日 [吉記]「北陸道合戦の風聞あり」

9月1日 陰晴不定 [吉記]
「北陸道合戦の風聞あり」
或る者云く、(平)通盛朝臣は越前(福井県東部)の国府に在り。而るに去る月二十三日、反乱軍が国中に乱入し、大野・坂北両郷を焼き払う。加賀(石川県南部)の国の住人(武士)等の仕業のようだ。勝負は今明に在り。猶官軍の増援すべきの由、飛脚を差し遣わし申し上げたようだ。近日引き続き絶え間ない風聞は此のような事である。

9月2日 天晴 
「平通盛北陸道賊徒征伐能わず」
伝聞、北陸道の反乱軍、意気盛んである。通盛朝臣は征伐することが出来ない。加賀以北、越前の国中に猶命に従わない連中が有るようだ。

9月3日 「吾妻鏡」
「越後の守資永頓滅」
 越後の守資永(城の四郎と号す)勅命に任せ、当国の武士等を駈り集め、木曽の冠者義仲を攻めようと擬すの処、今朝急死した。これは天罰を受けたか。
   従五位下行越後の守平朝臣資永
     城の九郎資国男、母将軍三郎清原の武衡(兵衛府)女
     養和元年八月十三日任叙

|

« 8月16日 [吉記]「通盛北陸道追討使」 | トップページ | 9月6日「熊野湛増関東赴くという」 »