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2006年6月24日 (土)

8月6日「関東の賊徒、猶未だ追討に及ばず」

8月6日 早旦甚雨、終日陰 午後微雨
14時ごろ、頭弁(経房)が来た。法皇のお言葉を伝えて云うには、
「関東の賊徒、猶未だ追討に及ばず」
関東の反乱軍は猶未だ追討出来ない。余勢が強大の故である。京都の官兵を以て、ただちに攻め落とし難きか。
「秀衡の処遇」
仍って陸奥の住人秀平を以て、彼の国の官吏に任ぜらるべきの由、前の大将(宗盛)申し行う所である。件の国は、素より大略は横領されている。然れば、拝任は何事か有らんや。いかに、
「平助職の処遇」
また越後の国の住人平助職、宣旨に依って信濃の国に向かう。勢力が少なきに依っていくさに敗れしは、全く過ちに非ず、志の及ぶ所、すでに身命を惜しまず、忠節の至り、頗る恩賞有るべきか、且つは同様な者どもを励ますためである、しかし其の方法はいかに、忽ち越州(新潟)を賜はば、其の節を遂ぐる時如何、又只今の如くば、大略は敵軍の為追い帰されたり、其の賞にいずれの国を預けるか、頗る其の謂われ無し、もし然るべき京都の官吏に任ずべしか、進退の間、法皇の判断は決し難し、宜しく思案し申し上げるべしと、
 私は申し云う、追討の間の事、ひとえに大将軍が第一である。しかるに前大将(宗盛)が申し計られる趣旨は異議に及ぶべからず、然れば秀衡を奥州の官吏に任ずる、何事かこれ有らんや、助職の事或るいは官位を授け、(先例有り)或いは京都の官吏に任ず、各定めて其の望み無きか、越州を賜ふ条、秀衡に准ずれば同じ事たりと雖も、両国空しく失せたりの条、実に思慮有るべし、これらの外恩賞の趣、私の思慮は及び難し、凡そこれらの事、すべて以て道理の推す所に非ず、事すでにおさめ難し、よって後害を顧みず、謗(ぼう、そしり)難を知らず、当時の事を成さん為、行われるべき儀なり、然れば百千の事を行われると雖も、彼の雅意に叶わざれば、其の詮議は無かるべし、よって重ねて前幕下に仰せ合わせ、計らひ申さしむる趣に任せ、何事と雖も定め行われるべきなり、議定及ぶべからず、もし猶京官に任ずるならば、靱負尉はいかが、(略)
私は云う、秀衡は国司に任じ、助職は郡司に補す、
(注釈)
靱負尉(ゆぎへのじょう)・・・・御所を警護する衛門府の役人、三等官相当。

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