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2006年6月29日 (木)

9月6日「熊野湛増関東赴くという」

9月4日 「吾妻鏡」
「木曽の冠者平家追討の為北陸道を廻り上洛」
 木曽の冠者平家追討の為北陸道を廻り上洛した。而るに先陣根井の太郎は越前の国水津に至り、通盛朝臣の従軍とすでに合戦を始めたようだ。

9月6日 天晴
「熊野湛増関東赴くという」
伝聞、熊野の権別当湛増は坂東に赴任したようだ。
「菊池と原田同心し平貞能を妨たげんとす」
鎮西(九州)の反乱は殊に甚だしい。菊池と原田と元は仇敵と雖も、すでに和平し、同心し貞能を妨たげようとしている。貞能は備中(岡山県西部)の国に逗留し、兵粮米を願望しているようだ。

9月9日 天晴
伝聞、通盛朝臣、越前(福井県)・加賀(石川県)の国人(武士)等の為頗る敗られた。すでに上洛を企てるようだ。但し実説はこれを尋ねるべし。
「湛増法皇に書札を進すという」
また聞く(この事一昨日聞く所、忘却し今日これを記す)、熊野の別当湛増は、使いの人に申し付け、書状を法皇に進上した。これ関東に向かうと雖も、全く反乱の儀に非ず。公の為、間違った事有るべからずと。此の申し状は尤も多く不審かな。

9月9日 [吉記]
「越前合戦に於いて官軍敗れる」
越前の合戦は、すでに終わり。官軍破られ、中宮の亮(すけ、次官)(平通盛)は敦賀(福井県南部)に引退するの由、今日飛脚が到来したようだ。左右(そう、かれこれと言うこと)及ばずの事か。

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