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2006年6月17日 (土)

4月21日「頼朝秀衡の娘を娶る約諾を成すという」

4月21日 天晴 
「頼朝秀衡の娘を娶る約諾を成すという」
或る人が云うには、昨日常陸の国(茨城)より上洛の下人有り。四十余日、北陸道を廻り前途を遂げ入洛したようだ。件の者相語りて云く、秀衡がすでに没するの由は無実である。頼朝は秀衡の娘を娶(めと)るべきの由、相互に約諾を成すと雖も、未だその事を遂げず。
「佐竹の一党の他は頼朝に乖く者無しという」
凡そ関東の諸国は、一人として頼朝の趣旨に背く者無し。佐竹の一党三千余騎、常陸の国に引き籠もる。その名を思うに依って、一矢を射るべきの由があるようだ。その外、一切異途無しと。禅門(平清盛)が逝く事、十八日に風聞した。また同心の城助永は、共に以て若死にした。爰に頼朝且つ雄称(おたけび)して云く、我君に於いて反逆の心無し。君の御敵を伐ち奉るを以て望みと為す。而るに天罰を蒙るを遮りたり。仏神の加被、偏に我が身に在り。士卒の心、いよいよ相励むべきのものなりと。
「清盛死後坂東諸国いよいよ一統すという」
茲に因って平清盛が死去の後、坂東諸国は、いよいよ以て統一した。上洛の件については、追討使が襲来の時、則ち追い帰し、その次ぎに伐ち入るべきの由、準備を成すということだ。様々の浮説の中、この説頗る指南に備うべきか。よって粗くこれを記す。

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