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2006年6月12日 (月)

3月12日 [吉記]「官軍勝利」

3月12日 天晴れ
「秀衡の籌策」
大外記の頼業が来た。また語りて云く、藤原秀衡が宣旨への答申文書を進上した。その状に云く、はかりごとを魚麗の陣(陣形の一、全形群魚の進むように)に廻らし、賊徒を鳥塞の辺に払うと。然れども、専ら信用し難きものかと。

3月12日 [吉記]
「官軍勝利」
平(頼盛)中納言が文書を送り、またあちこちより報告して云く、去る十日尾張の賊徒等が、彼より洲俣を渡り、官軍に向き逢い合戦した。渡る者は三千余騎に及び千余人打ち取るようだ。事実ならば、一天下四海の慶びは何事もこれに及ばないだろう。

3月13日 天晴れ
「去る十日墨俣にて合戦あり源行家敗れる」
伝聞、去る十日、官兵等は墨俣を渡ろうと欲するの間、尾張を遮る賊徒等が越え来た。五千余騎なり。而るに重衡が舎人の男(金石丸。高名の者なりと)がこれを告げた。茲に因って相防ぎ、10時頃より16時頃まで合戦した。賊党等の千余人をさらし首にした。その後三百余人は河水に溺れ死亡した。大将軍等、多く以て伐ち取った。猶官兵等は墨俣河を渡り、残賊等を襲ったようだ。これは去る夜、飛脚が到来し、称賛し申したようだ。十郎蔵人行家(本名義俊と)は負傷し河に入りた。定めて若死にしたか。然れども、さらし首の中には入らないようだ。

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