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2006年6月30日 (金)

9月10日「平通盛軍敗退津留賀城」

9月10日 天晴
「平通盛軍敗退津留賀城」
平通盛朝臣の軍兵が、加賀の国の武士等の為追い降さる事は確かのようだ。仍って津留賀城に引き籠もり、軍兵を追加すべきの意見を申請した。仍って武士等を派遣しようとするようだ。
9月10日  [吉記]
「越前合戦の実説を聞く」
越前合戦の事は実説のようだ。去る6日兵衛の尉平清家を以て大将軍と為し、官軍を指し遣わし加賀境に於いて、合戦の最中、当国の武士の新介実澄、従前従儀師最明(検非違使、藤原友実弟)等、初め官軍と為し出発の処、忽ち反乱軍に同意し、後ろより攻め入りの由、通盛朝臣の郎従宗者(一族の集団)を為し八十余人打ち出された。戦すでに敗れ、この時、通盛朝臣は猶国府に在り、無勢に依り、重ねて攻め寄せる事は出来ず、敦賀(福井県南部)へ退退却したようだ。詳細は以て実説を猶注記すべし。官軍が敗戦の条、天変地異の符合か。朝廷の大事は何事この如しか。但し以て世間の意見はごうごうか。

9月11日 天晴
伝聞、(平)教経(敦盛卿の子)・(平)行盛等、副将軍として北陸道に下向すべし。また(平)重衡卿等、東国に赴くべしと。

9月12日 天晴
「経正若狭に在るも国境を越えず」
伝聞、通盛は津留賀城を逃れ、山林に迷い込んだようだ。但し実説は知り難し。経正朝臣は猶若狭(福井県西部)に在り。全く国境を越えず。通盛は件の朝臣を待ち、攻め寄せようと欲するの間、遅延した。かえって追い落された。経正の不覚の致す所の由と、世間は以て謳歌するようだ。

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