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2006年6月23日 (金)

8月1日「源頼朝密かに法皇に奏すことあり」

8月1日 天気陰、
伝聞、前幕下(宗盛)其の勢力は逐日に減少し、諸国の武士等は敢えて参洛(上洛)せず。近日貴賤の領土を奪い武士達に与え、先々に於いて万倍した。然れども其の家来等は怒りと恨みに随い、或いは違方の者有り。凡そ其の心を得ず、恐らく運報は傾くかと。
「源頼朝密かに法皇に奏すことあり」
又聞く、去る日(源)頼朝が内密に法皇に申し上げた。全く謀反の心無し。ひとえに君の御敵(平家)を伐つ為であります。
「頼朝源平両氏共に用うべき旨を申す」
もし猶平家が滅亡されなければ、古昔の如く、源氏・平氏相並び召し仕うべし、関東は源氏之の進止(進退)となし、海西は平氏の任意になし、共に国宰(大臣、国司)においては、上より任命されるべし。只東西の乱を鎮める為、両氏に仰せ付けられて、暫く御試み有るべきなり。且つ両氏の孰(いず)れかが王化を守り、誰か天皇の命令を恐れるや、尤も両氏の翔(ふるま)ひをご覧すべきなりと。此の状を以て、内々に前幕下(平宗盛)に仰せられる。
「平宗盛頼朝の密奏を退けるという」
幕下申し云う、此の儀は尤も然るべし。但し故禅門(清盛)が死亡の刻、遺言して云う、我が子孫、一人と雖も生き残らば、しかばねを頼朝の前に曝すべしと、然れば亡父の誡め、用いざるべからず、よって此の条に於いては、勅命を為すと雖も、請け申し難きものなりと。此の事最も秘事である。人以て知らずと、すでに以上の事等、兵部(兵部省、軍政・武官を担当)少輔、藤原尹(いん)明が内緒に語る所である。件の男は、前幕下(宗盛)の近くにお仕えする人である。平定能が鎮西(九州)に下向は必定、人以て奇を為すと。大略逃げ儲け(用意)の料(おしはかる)といえる。

8月2日  天晴 
 伝聞、駿河の国より上洛の下人(大膳大夫平信兼の家来、即ち件の人は知行の庄を指図する者と)の説に云く、頼朝朝臣の儲け(設け)と称し、仮屋数軒を造作した。凡そみちすがらの国、食糧の米の世話や準備の外、他事無しと。

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