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2006年5月16日 (火)

1181年 (治承5年)1月1日「南京諸寺焼失」

1181年 (治承5年、7月14日改元 養和元年 辛丑)

1月1日 晴、時々雪降り
「南京諸寺焼失」
そもそも南京(奈良)の諸寺が焼失した事は悲嘆の至りであり、喩え取る物が無い。御寺はすでに灰燼と化した。氏人は在るも益無し。俗世のわずらわしさを棄てるべきは此の時である。猶世事を巻き付け未だ山林に交わらず。東大寺は我が朝の第一の伽藍(仏道修行の場所)であり、異域にも無類の寺院である。今乱逆の世に当り、忽ち魔道のために滅びるの期が顕れたのか。天然の理であり、人力では何ぞその通りとは出来ない。しかれども当時の哀悼(人の死を悲しみいたむ)、黙止すべからず、私の意見のおよぶ所では、すべからず廃朝の儀が有るのか。朝廷の人、敢えて此の儀在らずか。将に又時勢を恐れ、専らただ言葉に出来ないのか。ことはすでに世にまれな事である。大声をあげてなくの礼。又通常を超過すべきか。遂に其の儀は無し。

1月7日 晴
「平知康・大江公友捕えられる」
伝聞、左衛門の尉(平)知康(法皇、近日第一の近習の者である)並びに兵衛の尉(大江)公友等、禅門(平清盛)の許に捕えられた。知康に於いては、重ねて禁固されているようだ。
「大和の国荘園停廃される」
今日、武士(今度は大将軍を派遣せず、ただひそかに郎従が宣下を持ち行き向かう所のようだ)を派遣し、大和の国の荘園を停廃した。並びに無罪の僧綱以下を安堵せしめ、有罪の凶暴の徒党の類を征伐すべしのようだ。
(注釈)
衛門(えもん、右衛門府、皇居諸門の護衛など、職員に督(かみ)、佐(すけ)、尉(じょう)、志(さかん)など)
兵衛(ひょうえ、兵衛府、兵衛の管理など、唐名、武衛)
僧綱(そうごう)僧尼を統領し、法務を統括する僧官。

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