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2006年5月10日 (水)

12月13日「南都衆徒上洛決定すという」

12月13日 天晴
「南都衆徒上洛決定すという」
南都(奈良)衆徒(僧兵)上洛決定したの由、去る夜半並びに今朝両度告げ申す事有りと、但し実説か否かは知り難い。夜に入り刑部卿の頼輔朝臣が来た。数刻の談話で、伝聞、前の右中弁親宗朝臣、頼朝と音信の由が風聞した。その事に依って呼び出し詰問されたようだ。
「諸卿に武士を進すべき事催せらる」
また諸卿左右大臣を除くの外、左大将以下、併せて部下の武士を進上すべきの由催促したようだ。これ等は奇異の政治である。平時忠が強行する所のようだ。
(略)
「親宗従者頼朝との内通を認める」
伝聞、前の右中弁親宗、内密の事を頼朝に通報したとの風聞が有り。従者(字六郎、消息の筆を執る者である)を呼び出し詰問した処、承知して従ったようだ。

12月14日 晴れ
「山門凶徒一旦追い散らされるも猶結党」
又聞く、比叡山延暦寺の僧兵は一旦追い散らされると雖も、猶党を結び、学徒(僧兵)多く味方した。座主方の大衆(僧兵)は日を追って減少、反乱軍等は南都衆徒(僧兵)が入京の日を聞き、西坂下より降り、南北より六波羅を寄せ攻めるべきようだ。
「平家の郎従等多く逃散す」
禅門(清盛)・前将軍(宗盛)等の気力は衰えた。従者等の多くは以て逃げ散り、残る所の者も又鋒(ほこ、矛)を争うの心も無いようだ。世間のうわさでは、近江の官兵等、昨日矢合わせ(戦闘開始の合図)。また伊勢の武士等、美濃の国に攻め寄せようとしているようだ。

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