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2006年5月12日 (金)

12月19日「南都の衆徒和平す」

12月19日 晴れ
「南都の衆徒和平す」
また聞く、南都の衆徒(僧兵)始終無く、大略が源氏の徒党の少々凶悪の者どもに味方したようだ。然りと雖も、惣て大衆(僧兵)が制止を加えるの間、和平したようだ。無礼第一の事か。また頼朝の勢力は十万騎のようだ。三條宮(以仁王)は坂東に在るの由、極めて誤りの説のようだ。また仲綱が伐たれたのは確定である。平等院に於いて自害の者どもの、三人の中の一人である。

12月22日 天晴れ
「官軍南都発向のため大和河内国人道々を守護す」
伝聞、来る二十五日、官軍を南都(奈良)に遣わし、悪徒を捕り搦め、家屋を焼き払い、一宗派を摩滅するようだ。先ず今明の間、大和・河内等の国人(武士)を以て、道々を守護する。その後官兵を攻め寄せるようだ。我が氏滅亡の時に当たり、生を受けるの条、只前世の善悪の行為を恥じる者である。
12月22日 「山槐記」陰晴不定
「右少将惟盛朝臣越前国に下向」
 右少将惟盛朝臣が越前国に出発した。かの国の反逆の者ども有りの間、鎮めるための件の事のようだ。軍兵三十騎ばかりを同道したようだ。

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