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2006年5月27日 (土)

2月15日「鎮西謀叛の輩太宰府を焼く」

2月15日 天晴
「鎮西謀叛の輩太宰府を焼く」
伝聞、鎮西の反乱軍の者どもは日を追って興盛した。太宰府を焼き払ったようだ。

2月16日 天晴
「重衡鎮西に遣わさるという」 
伝聞、知盛卿は帰洛した。その替わり、重衡朝臣が向かうべきの由、その儀有り。然れどもその儀忽ち変り、鎮西に遣わさるべしと。伝聞、今日賊の首を渡さる(十人)。使庁が請け取ったようだ。

2月17日 天晴
「熊野法師阿波国を焼き払う」
伝聞、熊野の僧兵達が、阿波の国(徳島県)を焼き払い、在家の雑物・資材・米穀等の類を追捕(略奪)した。一物残らず捜し取った。また源義俊(行家、為義の子、世十郎蔵人と称す)は尾張の国に居住した。その勢は三万余騎。美乃の国に在る官兵等は僅かに七八千騎のようだ。
「頼朝未だ足柄関を越えず」
頼朝は未だ足柄関を越えず。先ず義利の勢を以て、四手に分け攻め寄せるようだ。
「鎮西謀叛の張本十六人同意す」
また聞く、鎮西の謀叛の者の張本は徒党十六人同意したようだ。

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