« 12月4日「奥州の戎狄(いてき)秀平」 | トップページ | 12月11日「山僧と官兵と合戦す」 »

2006年5月 8日 (月)

12月9日 「延暦寺衆徒の一部が山本義経と語らう」

12月9日 天晴
「延暦寺衆徒の一部が山本義経と語らう」
伝聞、延暦寺衆徒(僧兵)の中、凶悪の堂衆(僧兵)三四百人ばかりが、山下兵衛の尉義経(近江の国の反乱軍の張本人、甲斐入道は件の義経に味方するようだ)の語を得て、園城寺を以て城と為し、六波羅に夜打ちに入るようだ。また近江の国に進向する所の官軍等、その後を塞ぎ、東西より攻め落とすべきの由、計画を成すようだ。茲に因って平経雅朝臣・平清房(禅門の息子で、淡路の守である)等、追加して派遣されるようだ。
「興福寺の衆徒宮大衆と称して蜂起す」
また興福寺の衆徒(僧兵)が、逐日蜂起し、宮大衆と称するようだ。四郎房と云う者がいる。武勇の任に堪える徒党は四百余人に及ぶ。これは禅門(平清盛)の味方であるようだ。而るに悪僧等数百人出で来て、件の四郎房を追い払った。関東の反乱軍は江州に攻め来たるの時、南京(奈良)よりまた京都市内に伐ち入るの由、準備を成すようだ。この事信用できるのか。凡そ近日の事、併せ以て言語の及ぶ所に非ず、此の如くの混乱は古今に比類無しか。

12月10日 朝間晴れ、午後天陰風吹く
早朝邦綱卿の許に使いを送る。則帰り来たり云う、
「大衆と官兵山科東の辺に合戦す」
また只今南都(奈良)より飛脚が到来した。衆徒(僧兵)すでに入京を欲し、終夜走り来たる所である。大衆(僧兵)の勢以ての外と。今日延暦寺の悪僧(僧兵)等を追討する為、官兵が行き向かうの間、山科東の辺に於いて衆徒(僧兵)と降り合い、すでに以て合戦した。未だ事切れずと。16時頃に及び、大衆(僧兵)等は引退し、籠城したようだ。夜に入り、南都より告げ送りて云く、大衆(僧兵)が蜂起すと雖も、僧綱以下制止を加えるに依って、和平したようだ。

|

« 12月4日「奥州の戎狄(いてき)秀平」 | トップページ | 12月11日「山僧と官兵と合戦す」 »