« 2月15日「鎮西謀叛の輩太宰府を焼く」 | トップページ | 2月29日「頼輔豊後国に下向せんとす」 »

2006年5月28日 (日)

2月20日 「天下飢饉により富を割き貧に与うという」

2月20日 天晴 
「天下飢饉により富を割き貧に与うという」
京中の在家を計られる事は、大略、公家富有の者を知り、兵粮米を宛て命ずべき故と。但し、兵粮米に限るべからず、院宮・諸家併せ宛て奉られるべしは、是天下飢饉の間、富を割き、貧に与えるの義なりと。
「頼朝に乖くの者有り」
伝聞、関東の事、宮(以仁王)はおいでにならない由を聞き、頼朝に背くの者多く有り。甚だ物騒。またその勢は数万騎と云うと雖も、全く物の要に叶うべからず。尤も嗚呼(ああ、残念)なりと。是また実説を知らず、

2月21日 天晴
「坂東軍陣甚だ物騒」
伝聞、坂東の軍陣、太だ以て物騒である。泉の冠者(名を知らず)(源重満)が、十郎蔵人義俊(行家)を召し具し、降参を請い、官軍方に来たるの由が風聞した。但し義俊捕わるの條、果たして以てまちがった事か。信受せられず。

2月26日 天晴
「重衡の鎮西下向停止」
伝聞、関東の徒党は、その勢数万に及ぶ。官兵は少ない。仍って俄に前の将軍宗盛以下、一族の武士、大略下向すべし。来月六七日の頃のようだ。重衡の鎮西の下向は停止したようだ。

|

« 2月15日「鎮西謀叛の輩太宰府を焼く」 | トップページ | 2月29日「頼輔豊後国に下向せんとす」 »