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2006年5月18日 (木)

1月14日「高倉上皇崩御」

1月14日 晴
「高倉上皇崩御」
午前4時頃、人告げて云く、新院(高倉上皇)すでに崩御された。実説か否かを知らざるに依って相尋ねるの処、6時頃に使いが帰り来たりて云く、事すでに一定である。午前3時頃の事のようだ。

1月16日 晴
「五畿内近国の国司に武士を任じて遠国の凶徒を禦がしむと故院仰せ置く」
左少弁行隆が来たりて云く、諸国の勇士は、併せて反乱の心が有る。仍って先ず五畿内、及び近江・伊賀・伊勢・丹波等の国、武士を任じて以て遠国の凶徒を防がせるべきの由、故院(高倉上皇)は遺言された。
畿内:大和(奈良)、山城(京都南部)、河内(大阪東部)、和泉(大阪南部)、摂津(大阪兵庫の一部)
近江・伊賀・伊勢・丹波:滋賀県、三重西部、三重県、京都府

1月18日 陰晴れ不定
「官兵等美濃の国の源光長を攻む」
伝聞、官兵等は美乃の国に入り、光長の城を攻めた。相互に死者多し。遂に光長がさらし首となったようだ。彼の国の源氏等は、光長の外、仲間は幾ばくもないようだ。而るにすでに頭たる罪有る者を殺した。今に於いては、美乃・尾張両国、共に以て敵対すべきではないようだ。

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