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2006年5月 9日 (火)

12月11日「山僧と官兵と合戦す」

12月11日 雪白風寒
「山僧と官兵と合戦す」
伝聞、昨日比叡山延暦寺の僧兵と官兵が合戦した。両方の勢力は各々二三十人ばかり、堂衆(僧兵)方の四人がさらし首となった。官兵十人ばかりは手傷を負うたようだ。堂衆等は比叡山中に引き籠もった。或る説に、三井寺に籠もるべしと。また聞く、南都の衆徒(僧兵)、僧綱等の制止に依り、一旦和平すと雖も、全ては知らないようだ。

12月12日 天晴、
「官兵等園城寺周辺を焼く」
伝聞、昨日官兵等は三井寺に押し寄せ(比叡山延暦寺の堂衆が一昨日より引き籠もるなり)、夜の時刻になり合戦した。延暦寺の堂衆(僧兵)の勢力は少なく、引退して江州方面に向かった。官兵等は三井寺の近辺並びに寺中の房舎少々を焼き払った。堂舎に及ばないようだ。官兵方の七十余人が傷を負ったようだ。また聞く、江州の反乱軍等の勢は甚だ強し。忽ち落ち得るべからずと。
「武田の党遠江に来たり参州を伐取る」
武田の党が、遠江(静岡県西部)に来住し、参州(三河、愛知県東部)を伐ち取りたり。美濃(岐阜県南部)・尾張(愛知県西部)、また素より味方したようだ。城の太郎助永がすでに信濃に越えるの由風聞した。誤りの説と。雪が深くて人馬の往来が出来ないようだ。また秀平攻め落とすべきの由、答申書を進上すの旨、その聞こえ有り。而るに行程の推す所、その使い帰参の期に及ばず。疑うには、士卒の心を励ます為の、頗る虚聞であるようだ。
「南都衆徒昨日より興盛」
 16時頃、人伝え云う、南都(奈良)衆徒(僧兵)、此の2.3日蜂起せずの処、俄に昨日より以ての外の興盛で、末寺荘園の武士を招集し、十五大寺一等(統)、今2.3日の間に上京を企てるべしの由、議定既にしたようだ、左右能わずの事か、

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