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2006年5月 1日 (月)

11月23日 「近江の国一統」

11月23日 晴、夜に入り雨下る
16時頃人伝えに云く、去る夜、手嶋蔵人某(元三條宮に奉公した。近年は平清盛並びに幕下(平宗盛)の辺に朝早くから夜おそくまで仕える)が福原の人家に放火した。ゆくえをくらまし逃げて東国に向かったようだ。
「近江の国一統」
また聞く、近江の国は統一した。琵琶湖の東西の船等は、悉く東岸に付いた。また雑船や筏等を以て、勢多に浮橋を渡した。
「北陸道の運上物、悉く取られる」
凡そ北陸道の運上物は、悉く以て点検し奪取した。大津の辺の人家は騒ぎ逃げた。凡そふるえ動くことはなはだしいようだ。三宮(以仁王)は遠江(静岡県西部)の橋下の宿においでである。
「頼朝等美濃・尾張の境に在り」
頼朝等の軍は美濃(岐阜県南部)・尾張(愛知県西部)の境に在り。先ず美濃・近江等の国人(武士)の勢力を以て、大津及び山科の辺に推し入るべし。三井寺(園城寺)を以て先陣とすべし。形勢に随い法勝寺、及び大内等に寄宿すべしと。今に於いては、勿論猶以て追討使の指図は無い。福原の辺の人の様子は落ち着いている、敢えて驚きの気配は無し。偏に以て別天地のようだ。
「適々所在の武士は暇を賜り本国に下向す」
たまたま所在の武士は、この2.3日の間に追討使の役目に出立する為、各々身の暇を賜り本国に下向した。福原の軍勢は僅かに二千騎のようだ。おおむね幸運の報せは尽きたる最期か。新院(高倉上皇)の御病気は危急であるようだ。夜に入り下人云う、帰都は停止したようだ、明朝に人を遣わしてその理由と真偽を聞こう。
「延暦寺と園城寺に闘諍有り」
伝聞、山(比叡山延暦寺)と三井寺(園城寺)と闘争が有るようだ。その事に依って延暦寺園城寺を焼くべしと。後聞、宮(以仁王)・頼朝等駿河の国に在りと。宮は不審の物である。

11月23日 [吉記]
「今夕還都有るべきに」
 今夕に還都有るべきに依って御出門した。前の大納言邦綱卿の宇治の新亭(この都においでの後新造する華亭である。土木工事は未だ終了せず。近日まもなく指図すると)においでになられた。

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