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2006年5月11日 (木)

12月15日「官軍勝利す」

12月15日 天晴
「官軍勝利す」
一昨日、平知盛・平資盛等が敵城を攻めた。甲賀入道並びに山下兵衛の尉義経等の徒党千余騎は即時に追い落とされた。二百余人をさらし首とし、四十余人を捕縛した。残る所併しながら追い散らした。さらし首の中に甲賀入道有ったようだ(後聞無実)。
「上洛の南都衆徒僅かにより大衆与力を表すも一致せず」
南都衆徒(僧兵)は上京の決議したと雖も、凶徒は僅か500人ばかり、惣じて大衆(僧兵)等は当罰の恐れに依り、味方表すの由と雖も其の実一致せず、まして末寺荘園等から招集する事が出来ない。又聞く江州落とされるの由、かたわら忽ちの上京は出来ないようだ。大略事の形勢に随い反乱を企むか。太いに以てあれども亡きがごとし。言語に及ばずの次第である。但し此の如しの事多く虚聞有り。実説は知り難しか。
「皇嘉門院御領地等武士に召し上げらる」
左少弁行隆が奉行となり、女院(皇嘉門院、崇徳天皇の中宮)の御庄々並びに余の領地等から、皆悉く武士を進め召すべしの由仰せ下さる。天慶の例のようだ。是また人を費やし民の煩うことである。
「近日行われる事一として国家をなさざる事なし」
凡そ近日行われる事は、全てが国家を損亡させる事のみである。悲しむべし悲しむべし 。

12月16日 晴れ、大風、
「近江山本城を攻む」
南都の大衆(僧兵)、すでに入洛の由風聞した。然れどもその実無し。今日重ねて官兵等、近江の山下城を攻めるようだ。
「清盛天下の事を宗盛に委ねるという」
伝聞、禅門(清盛)は天下の事を前幕下(宗盛)に委ねたようだ。

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