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2006年4月17日 (月)

9月23日「東国追討使入京す」

9月23日 晴れ、
「東国追討使入京す」
右少将の平惟盛朝臣以下の、関東の反乱軍の追討使等が入京した(一昨日に福原を出て、昨日小屋に宿伯し、今日京都に入る)。来二十七八日の間に出立するようだ。但し一昨日の出門は吉日の為の理由であるようだ。
「以仁王等駿河の国より奥方へ向かうとの告礼あり」
伝聞、高倉宮(以仁王)及び(源)頼政入道等、去る一日に駿河の国の更に奥地へ向かうの由、かの国の武士の報告があったようだ、件の報告の書状を世間に発表した。之は喩え取る物無いほどの奇異で奇怪なことである。かの宮の子と称する幼少の人は三宮が有るようだ。もし件の宮を以て父宮と称するか、将に又天狗の為す所か、でたらめは一旦と雖も此のような発表は、未曾有の事である。これ則ち平清盛が人望を失う間、事に於いて彼の為、凶のしるしを表そうと欲し天下の男と女が世間に、奇怪な風聞を流すものである。
「伯耆の国(鳥取西部)荘園停廃宣旨」
伯州の荘園、停廃の宣旨が到来したようだ。

9月23日 「山槐記」天陰
追討使は昨日、福原を出て、今日六波羅に着いたようだ。

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