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2006年4月10日 (月)

5月26日 「宇治川橋の合戦」

5月26日 天晴れ
「奈良大衆上洛」
朝5時30分頃に報告があり、奈良の僧兵がすでに上京したようだ。さらにまた、他の僧兵群は不都合な事であるようだ。
「以仁王等南都に逃げ去る」
三井寺においでの以仁王・源頼政は相共に、去る夜半ばかりに逃げ去り南都(奈良)に向かった。その報告を得るに依って、武士等が追い攻めるようだ。
(中略)
「頼政等誅殺さる」
12時頃、検非違使の季貞が前の大将の使いとして参院した。時忠卿に相対して、申して云く、頼政が党類を併せて誅殺した。彼の入道源頼政・兼綱並びに郎従十余人の首を切った。以仁王については、たしかにその首を確認しないと雖も、同じく伐ち得た。その次第、4時頃、逃げる者の報告を得た。
「宇治川橋の合戦」
 即ち検非違使景高(飛弾の守景家の嫡男)・同忠綱(上総の守忠清の一男)等以下、士卒三百余騎これを遂いて責めた。時に敵軍等宇治平等院に於いて食をすすめるの間であった。宇治川の橋を引くに依って、忠清以下十七騎が、先ず打ち入る。河水敢えて深み無く、遂に渡り得る。暫く合戦するの間、官軍進み得ず。その隙を得て引いて降ち去る。官軍猶これを追い、河原に於いて頼政入道・兼綱等を討ち取った。その間彼是死者太だ多し。疵を被るの者どもは数える事も出来ない。敵軍は僅かに五十余騎、皆以て死を顧みず、敢えて生を乞うの様子無し。甚だ以て堅固なり。その中で兼綱の矢前を廻るの者は無し。恰も八幡太郎の如しと。
「以仁王自害するか」

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