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2006年4月12日 (水)

9月3日「源頼朝伊豆・駿河を押領す」

1180年(治承四年)
9月3日 陰晴れ不定、
「熊野権別当謀叛」
 伝聞、熊野権の別当(長官)湛増が謀叛を起こした。その弟の湛覺の城、及び所領の人家数千軒を焼き払った。鹿瀬以南も併せて横領した。行朝が同意したようだ。この事は去る月の中旬頃の事のようだ。
「源頼朝伊豆・駿河を押領す」
 また伝聞、謀叛の賊で源義朝の子の頼朝は年来配所の伊豆の国に在った。而るに近日凶悪の事件を起し、去る比、新任の国司の平時兼の先使を押し伏せふみつけた(平時忠卿の知行の国である)。凡そ伊豆・駿河の両国を横領した。
「源行家頼朝に與力」
また源為義の息子の行家は、ここ一二年来熊野の辺に居住して、去る五月の乱逆の時には、関東方面に赴いた。彼の義朝の子の頼朝に味方し、大略謀叛を企てるか。あたかも平将門のようである。凡そ去年11月以後天下は静かでなく、是即ちひとえに天下をみだりに刑罰を加えることにより鎮めようとするの間、敵方の類は其の威勢を怖れず、さらに荒々しい心を起す、将来又鎮める事が出来ない事か。

9月4日 「山槐記」晴れ、
今日或者云う、故源義朝の息子で兵衛佐の源頼朝が正義の兵を起こしたようだ。伊豆の国を横領した。関東は大騒ぎとなった。

9月5日 「山槐記」晴れ、
 後聞、今日東国の追討使の宣旨(天皇の命令)が下されたようだ。
東海道諸国へ告ぐ  伊豆国の流人の源頼朝並びに味方する者どもの追討の事

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