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2006年4月21日 (金)

10月19日「以仁王現存の事」

10月19日 陰雨下、
「以仁王現存の事」
或る人云く、高倉宮が殺されたの伝聞は猶疑いが有る。その故は菅の冠者と云う男、年来高倉宮に参入し住吉の辺に居住した。高倉宮が三井寺においでの後、あからさまに参入した。武勇の者ではないので、即ち退出しようと欲するの間忽ち逃げ去った。思いがけなく同道し南都(奈良)に向かうの間、路に於いて伐たれた。件の男は年齢三十余歳で、容貌はみにくくなく、頗る以て優美である。和琴を弾き横笛を吹くようだ。殺されたの伝聞を称する宮はもしかするとこの人かと思われる。件の男は高倉宮に参入するの由、世間の人は偏にこれを知らなかった。殺害されたの由、また以て日来風聞しなかった。この間この詳細を知る者どもが声をそろえたようだ。但し高倉宮がもし現存するならば、どうして数月の間、その実説が風聞しなかったのか。猶信用することは出来ない事である。

10月20日 陰雨下
「延暦寺の衆徒蜂起の事」
 伝聞、延暦寺の僧兵が火が燃え上がるように盛んに蜂起した。意見を申し上げる文書を以て雑事職に届けた。これは遷都を止めるべきの由である。もしお許しが無ければ、山城(京都南部)・近江両国を横領すべきの由、準備を成すの由であるようだ。

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