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2006年4月 3日 (月)

5月10日、15日 「以仁王配流」

5月10日 天晴
「武士洛中に満ち世間物騒」
今夜明け、平清盛が入京した。武士が京都市内に満ちあふれるほどだ。世間又物騒であるようだ。

5月15日 天晴
「以仁王配流せらる」
 日暮れにかかる時、京都市内は大騒ぎとなった。比叡山延暦寺の僧兵等が京都へ下るとのデマあり。但しその事実は無し。今夜三條高倉宮(後白河法皇の第二子)が配流(流罪)となるようだ。件の宮は八條女院(後白河院の妹)の御養子である。此の外いろいろのの風説が多いが、真偽不明である。

[愚管抄]
 高倉の宮(以仁王)という、院(後白河法皇)の宮に高倉の三位(成子)という愛されし女房が産み参らせたる御子がおいでした。諸事の指図があり、王位に御心(おこころ)かけたいと思いたちました。この宮をとやかく言う事なく流罪にしようとして、三位源頼政の子で兼綱と云う検非違使(けびいし、警察官兼裁判官)を追つかいまいらせて、三條高倉の御所へ参られましたが、速く逃がさせまして、三井寺に入らせました。寺の僧兵どもはもてなして道々切りふさぎました。頼政はもとより出家していましたが、近衛河原の家を焼いて仲綱伊豆の守・兼綱など同道して参りました。

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