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2006年4月 1日 (土)

3.1 入京前1180年(治承四年)4月9日 「吾妻鏡」

3.1 入京前
1180年(治承四年、庚子)

4月9日 「吾妻鏡」辛卯
 源頼政卿は、平清盛を討滅しようと、かねてより計画していました。しかし密かな計略では、はなはだ念願を遂げ難いと思い、今日の夜に入り、子息の伊豆の守仲綱等を同道し、密かに後白河法皇の第二宮の三條高倉の御所に参りました。前の右兵衛の佐源頼朝以下の源氏等を集め、彼の平氏族を討ち、天下を執らしめなさるように申し込みました。よって無官職の宗信に言いつけて、令旨(命令文書)を下されました。そこで陸奥の十郎義盛(源為義の末子)がたまたま在京していたので、この令旨を所持して関東方面に向かい、先ず前の兵衛の佐の源頼朝に接触した後、その外の源氏等に伝えるべきの意向を、固く申しつけた。義盛は八條院(後白河院の妹)の蔵人(下級役人)に任命し、名字を行家と改めた。

(解説)
源頼政が高倉宮(以仁王)を促して、平家追討の令旨を発行させ、源十郎行家(源為義の末子)に諸国の源氏へ配布させた。吾妻鏡では頼朝の権威付けのため、頼朝を優先するように記述しているが、実際には京都から順々に伝達したに違いない。源頼政は当時在家僧侶風となり、官位が三位であったので、源三位頼政(げんざんみよりまさ)と通称された。

(原文、訓読文は2005.9.26参照)http://geocities.yahoo.co.jp/gl/qyf04331/

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