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2006年4月29日 (土)

11月19日「還都、来二十六日御出門」

11月19日 晴れ
「還都、来二十六日御出門」
伝聞、還都(福原から京都へ)は来る二十六日に御出門、来月の二日に御入京有るべきの由命令される。延暦寺の衆徒は大喜びし、種々の御祈り等を始めたようだ。
「東乱近江の国に及ぶ」
或る人云く、東国の反乱軍の影響はは近江の国(滋賀県)に到達したようだ。

11月20日 [吉記]
「還都一定なり」
蔵人弁の許より、出納(中原)国貞を以て書状を送りて云く、還都は決定である。来る二十三日に前の大納言の宇治河の亭(摂津の国)にお出かけする。二十四日には寺江(摂津の国)ににお出かけする。二十五日には木津殿(山城の国)ににお出かけする。二十六日には御入京される。皇居は五條内裏である。その旨を存じ申し指示すべきの由命令有りということだ。即ち官外記に命令し、細々と指示命令を致したようだ。

11月21日 天晴
「宗盛の郎従十余人近江賊徒に梟首される」
ちまたのうわさによると、近江の国(滋賀県)も反乱軍に従属した。前の幕下(平宗盛)の部下が伊勢の国(三重県)に派遣するの間、勢多(滋賀県大津市)及び野地等の辺に於いて、昨日今日の間に、十余人が討ち取られた。その中には前の飛騨の守の平景家(彼の家後見、有勢武勇の者なり)の姪の男が有り。これが伐たれたようだ。甲賀入道(柏木義兼、年来彼の国に住む。源氏の一族と)、並びに山下兵衛の尉(同源氏と)等が首謀者であるようだ。14時頃、福原より報告があり、還都の予定は短縮された。来る二十三日に出門し、二十四日に寺江に着き、二十五日に木津殿に着き、二十六日に御入京が、決定したようだ。これは愚案である、もし還都が有るならば、日来の間、早々有るべきである。官軍を以て近江(滋賀県)・伊勢(三重県)両国に於いて防御するべきである。
「敵軍隣国に充満す」
「追討使の沙汰一切無し」
而るに一切追討使の派遣などの指示は無し。反乱軍はすでに隣国に充満するの場合に、忽ち以て還都する。どうして人々の議論に叶うのか。言うこと無し、言うこと無し

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