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2006年4月19日 (水)

10月2日「武を以て天下を治むるは乱代の至りなり」

1180年(治承四年、庚子)
10月2日 雨下、
「熊野合戦」
伝聞、去る月末の頃、熊野の湛増の館にてその弟湛覺が攻戦した。相互に死者多し。未だ落ちないようだ。また近江の国(滋賀県)の住人(武士)の中、呼び出される者有り。相互に防ぐの間度々合戦したようだ。凡そ最近あちこちで、謀反しないと云うことが無い。
「武を以て天下を治むるは乱代の至りなり」
武を以て天下を治めるような世は、決して以て然るべきでない。誠に乱れたる代の至りで
ある。

10月3日 陰時々火雨
「熊野合戦は謬説という」
伝聞、熊野の合戦の事は誤りのようだ。また伝聞、関東の事はすでに大事に及ぶようだ。

10月7日 「山槐記」晴れ、
 検非違使長官が法皇御所に於いて示され曰く、頼朝はすでに安房(千葉県南部)の国(頭弁の知行国である)を横領したようだ。頭弁の経房朝臣により私は新院(高倉上皇)に言上した。事件を急いで報告する飛脚が言葉を申し言う、私は彼の状を見せられるように取り願った。駿河(静岡の中央部)の国の武士五百余騎が出発し、伊豆の国へ向かい頼朝を攻めた。頼朝党は箱根山に引き籠もった。八月末日に頼朝等は箱根山を出て船に乗った。夜半に安房の国に着いた。九月一日味方の者どもに於いて諸郡に分與した。人家を追捕(ついほ、ついぶく)し、道具武具を奪い取った。この旨を詳細に急いで報告する所である。

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