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2006年4月13日 (木)

9月7日 「吾妻鏡」

9月7日 「吾妻鏡」
 源氏の木曽の冠者(かんじゃ)義仲は、帯刀(たてわき)先生(せんじょう)義賢の二男である。義賢は去る久壽二年(1155年)八月、武蔵の国大倉館に於いて、鎌倉の悪源太義平(義朝の長男)の為討ち亡ぼされた。時に義仲三歳の嬰児である。乳母の夫の中三権の守の中原兼遠がこれを懐き、信濃の国木曽に遁れ下り、これを養育せしめた。成人の今、武略の素質、平氏を征伐し家を興すべきの由存念が有る。而るに前の武衛(頼朝)が石橋山に於いてすでに合戦を始めらるの由を遠聞に達し、忽ち相加わり素意を顕わそうと欲した。爰に平家の味方の小笠原の平五頼直と云う者がいた。今日軍士を同道して木曽を襲おうとした。木曽の味方の村山の七郎義直並びに栗田寺別当(長官)大法師範覺等はこの事を聞き、当国市原に相逢い、勝負を決した。両方合戦半ばにして日すでに暮れた。然るに義直は矢が尽きかろうじて堪えていた。飛脚を木曽の陣に遣わし事の由を告げた。仍って木曽は大軍を率い競い到る処、頼直はその威勢に怖れ逃亡した。越後の城の四郎長茂に加わる為、越後の国に赴いたようだ。
(注釈)
冠者(かんじゃ)・・・わかもの
帯刀(たてわき)・・・たちはき、皇太子の護衛
先生(せんじょう)・・・隊長
権の守・・・(正員以外の守(国の長官))
中三・・・(中原家の三男)
稟性(ひんせい)・・・、うまれつきの性質
悪源太・・・(この時代の悪は強いの意味)

9月7日 「山槐記」晴れ、
 権律師源実曰く、義朝の子(頼朝)が伊豆を横領した。関東の国の者どもがこれを追討し男を伐り取った。義朝子(頼朝)においては箱根山に入りたりの由申し上げるの由、・・・
 義朝子(頼朝)は伊豆国を横領した、武田太郎は甲斐国を横領した。
伊豆国の流人兵衛佐(頼朝)は謀反を企て合戦の事。8月23日寄り合いの者ども。
    ・・・
兵衛佐残り少なく討たれたり、箱根山に逃れ籠もりたり。
8月28日飛脚が出国し、今日7日に到来した。

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