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2006年3月 9日 (木)

14.7 駆り武者方式14.8 領地安堵

14.7 駆り武者方式

 平家物語やその他の解説書で、平家軍は寄せ集めの駆り武者方式であり、源氏軍は忠誠を誓った武士団であったので平家が滅亡が当然とする説明が多いが、当時の武士たちは家系の存続のため、有利そうな勢力に従うため右往左往していたのであり、駆り武者方式が通例であった。当然源氏軍の大部分も駆り武者であった。どちらが有利か判断しかねる場合は親子兄弟で敵味方に別れた。当初は平家に従い、義仲が有利と見ると義仲に従い、次は鎌倉有利と見ると義仲に離反した者が大部分である。

14.8 領地安堵

 頼朝は武士の領地安堵の希望を聞き入れ、領地安堵の下文を発行したが、義仲は無関心だったので、人望を失ったとの解説を見ることがあるが、そうでもなく、時々義仲の下文が見つかったり、「吾妻鏡」にも、義仲滅亡後、頼朝に領地安堵の願いを出し、証拠の書類として、義仲の下文を提出している者がいるの(寿永3年2月21日)で、義仲も領地安堵の下文は出していたようである。しかし、義仲滅亡後は無効と思う人は大多数で多分捨ててしまうだろう。

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