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2006年3月16日 (木)

2.6 鎌倉軍武将の証言

2.6 鎌倉軍武将の証言Img_4624

弁護人 「証人(鎌倉軍武将 渋谷助重)に質問します。頼朝が旗挙げしたときから従軍していますか。」

証人(鎌倉軍武将渋谷助重)「いいえ、そのころは京都の勤務でしたので、やむを得ず、
    平家軍に従いました。父重国は相模に在国でしたので、鎌倉方に付きました。」

弁護人 「証人(鎌倉軍武将 渋谷助重)に質問します。義仲軍が入京したときはどうしましたか。」

証人(鎌倉軍武将渋谷助重)「義仲軍に従いました。」

弁護人 「証人(鎌倉軍武将 渋谷助重)に質問します。鎌倉軍が入京したときはどうしましたか。」

証人(鎌倉軍武将渋谷助重)「鎌倉軍に従いました。」

弁護人 「証人(鎌倉軍武将 渋谷助重)に質問します。かなり節操が無いように思いますが。」

証人(鎌倉軍武将渋谷助重)「いいえ、そのころの武士の殆どは家系の存続のため、よほどの恩顧
    がないかぎり、有利そうな勢力に追従するのが当然です。」

弁護人 「証人(鎌倉軍武将 渋谷助重)に質問します。平家軍は追捕をしましたか。」

証人(鎌倉軍武将渋谷助重)「はい、諸国荘園からの兵粮米徴収はもちろんです。さらに、
    義仲追討軍からは、路次追補も始めました。」

弁護人 「証人(鎌倉軍武将 渋谷助重)に質問します。義仲軍は追捕をしましたか。」

証人(鎌倉軍武将渋谷助重)「はい、諸国荘園からの兵粮米徴収はもちろんです。ただし、
    路次追補は禁止しました。」

弁護人 「証人(鎌倉軍武将 渋谷助重)に質問します。鎌倉軍は追捕をしましたか。」

証人(鎌倉軍武将渋谷助重)「はい、もちろんです。ただし、京都市内では一応遠慮しました。」

弁護人 「証人(鎌倉軍武将 渋谷助重)に質問します。鎌倉軍は京都市内では追捕をしました
    か。」

証人(鎌倉軍武将渋谷助重)「はい、京都市内では、平家関係者の追捕をしました。」

弁護人 「証人(鎌倉軍武将渋谷助重)に質問します。寿永3年1月28日大夫吏隆職を追捕
    をしましたか。大夫吏隆職は平家関係者ではありません。」

証人(鎌倉軍武将渋谷助重)「これは、官職名の勘違いです。吏大夫の者を追補すべしの命による
    ものです。」

弁護人 「証人(梶原景時)に質問します。寿永3年1月摂津の国で勝尾寺を追捕を
    しましたか。」

証人(梶原景時)「はい、周辺住民のうわさで、勝尾寺が食料や平家の残党を隠している
    らしいので追捕をしました。」

弁護人 「証人(梶原景時)に質問します。勝尾寺の追捕のとき放火しましたか。」

証人(梶原景時)「はい、焼失は事実ですが、わが軍の将兵か、平家の残党が逃げる時、
    放火したのか    は不明です。

弁護人 「証人(梶原景時)に質問します。一の谷合戦後、追捕禁止の命令が出まし
    たか。」

証人(梶原景時)「はい、そのため、以後の食料調達に苦労し、平家追討は遅れました。
    「諸国荘園等からの兵粮米徴収」は禁止、「路次追捕」は申請してから許可が出
    るまでに何週間もかかるのですから間に合いません。」

弁護人 「証人(梶原景時)に質問します。追捕禁止の時、食料調達はどうしましたか。」

証人(梶原景時)「それまでの備蓄と、寄付に頼りました。それにこっそり追捕(略奪)
    もしました。」

弁護人 「証人(梶原景時)に質問します。それで十分でしたか。」

証人(梶原景時)「とんでもない。まだ食料不足で、将兵はふらふらです。戦意も上が
    りません。まさに腹が減っては戦は出来ぬです。しかし、ようやく平家追討が終
    了してから、庄園の年貢を抑留し、国衙の官物を掠め取りと非難されました。
    (元暦二年四月十五日)」

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