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2006年3月15日 (水)

2.5 義仲軍残党等の証言

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検察官 「被告人(義仲軍残党)木曽義仲軍の宿舎はどうしましたか。」

被告(義仲軍残党)「平家軍が民家等を徴用していたので、其れを引き続き、使用しまし た。」

弁護人 「証人(九条兼実)の家等は、平家軍、木曽義仲軍に徴用されましたか。」

証人(九条兼実)「いいえ、徴用されていません。」

弁護人 「証人(九条兼実)の家等は、鎌倉軍に徴用されましたか。」

証人(九条兼実)「はい、庵の一つを借り上げるとの指示が有りました。」

検察官 「被告人(義仲軍残党)木曽義仲軍の食料調達はどうしましたか。」

被告(義仲軍残党)「寄付と追捕(ついほ)によりました。」

検察官 「被告人(義仲軍残党)寄付で食料は集まりましたか。」

被告(義仲軍残党)「しぶしぶながら寄付に応じました。多分逆らえないと思ったので
    しょう。どうしても応じない処は追捕により強制取り立てしました。」

検察官 「追捕とは何ですか。」

弁護人 「追補とは、ついぶくとも云い、兵粮米の取り立てを行うものです。法皇の
    命令によるものなので一応、合法な行為です。これには「路次追補」と「諸国
    荘園等からの兵粮米徴収」があります。

検察官 「路次追捕とは何ですか。」

弁護人 「これは既に平家軍が官軍となり
    北陸征伐と称して出発するとき、法皇から許可を得た命令なので、官軍となっ
    た義仲軍にも有効なの    です。義仲軍は信濃・北陸地方では食料は寄付で間に合
    っていました。比叡山にいる    ときも、隣の百斉寺から米の寄付を受けました。
    この京都では寄付は期待出来ないの    で、最小限の追捕は必要です。路次追補の
    様なやり方は手当たり次第に取り立てる略奪に等しいものなので、弱者たる庶民にも
    被害があるので、禁止して取り締まり    ました。しかし、鎌倉軍は武士達の自由横領
    は禁止しましたが、法皇の命令書を受けて路次追捕を続けたようです。」

検察官 「「諸国荘園等からの兵粮米徴収」とは何ですか。」

弁護人 「諸国への兵粮米の徴収は諸国に荘園という私有地を保有する法皇、宮家、
    公家、神社、仏寺など強者からの取り立てなので一部実行しました。」

検察官 「証人(藤原経房)と証人(九条兼実)に質問です。追捕は合法行為ですか。」

証人(藤原経房)「はい。法皇の命令により、兵粮米の追捕は、数年前から始まり、それ
    でも不足なので、北陸遠征の時は進軍途中での追捕つまり「路次追捕」も認められ
    ることになりました。新たに官軍となった義仲軍にも追捕は合法行為として認めら
    れます。」

証人(九条兼実)「合法行為かもしれないが、実際には略奪に等しく酷い命令です。その
    点、頼朝殿は偉い。このような追捕を止めるように命令を出しました。」

弁護人 「しかし、路次追補を全面的に禁止していない。必要な場合は申請すると認める
    としています。しかも、諸国荘園等からの兵粮米徴収の禁止は無視しているようです。
    さらにその後新たに全国一律の5パーセントの兵粮米を割り当てましたね。」

証人(九条兼実)「その通りです。約1年半後文治元年11月です。」

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