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2006年3月 8日 (水)

14.6 「富士川の合戦」

14.6 「富士川の合戦」

  「平家物語」に平家軍が水鳥の羽音を敵軍の襲来と勘違いし、退却する。吾妻鏡によれば事実のようである。しかし。
 「山槐記」に平家軍が水鳥の羽音を敵軍の襲来と勘違いし、退却する話しが出てくるが虚言甚だ多しと記述している。そのようなデマが流布したのは事実のようである。

「吾妻鏡」1180年(治承四年)10月20日 
 武衛(頼朝)駿河の国賀島に到らしめ給う。また左少将(平)惟盛・薩摩の守忠度・参河の守知度等、富士河の西岸に陣す。而るに半更に及び、武田の太郎信義兵略を廻らし、潛かに件の陣の後面を襲うの処、富士沼に集う所の水鳥等群立ち、その羽音偏に軍勢の粧いを成す。これに依って平氏等驚騒す。爰に次将上総の介忠清等相談して云く、東国の士卒、悉く前の武衛に属く。吾等なまじいに洛陽を出て、中途に於いてはすでに圍みを遁れ難し。速やかに帰洛せしめ、謀りを外に構うべしと。羽林已下その詞に任せ、天曙を待たず、俄に以て帰洛したり。
(現代文)
 頼朝は静岡県の賀島に到達した。また官軍平家の左少将の平惟盛・薩摩の守忠度・参河の守知度等は富士河の西岸に陣を構えた。而るに半更(夜更けか)に及び、武田の太郎信義が兵略を廻らし、潛かに件の陣の後面より攻撃した処、富士沼に集う所の水鳥等が群立ち、その羽音が偏に軍勢の攻撃の様子を成した。これに依って平氏等は驚き騒いだ。ここで次将の上総の介忠清等は相談して云く、東国の軍兵は、悉く前の武衛(兵衛府)の頼朝に従う。吾等が無理矢理に京都を出て、中途に於いてはすでに囲みを遁れるのは困難である。速やかに帰京し、計略を他に構えるべきであると。近衛府の左少将の平惟盛以下その言葉に任せ、夜明けを待たずに、俄に以て帰京しました。
(解説)
このように「吾妻鏡」の記述にも疑問を抱く人もある。寿永2年の記述が無いのも、よほど鎌倉方に都合の悪い事件があったか。風聞(デマ)が多く、真偽判定不能なので、編集を断念したか。

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