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2006年2月10日 (金)

9.「風聞と実態の違い」9.1 兼実は病弱で神経過敏で大袈裟

9.「風聞と実態の違い」

9.1 兼実は病弱で神経過敏で大袈裟

 兼実は権力中枢から遠ざけられているが、いつか返り咲きを期待し、宮中や市内外から各種情報を集めている。親類縁者をはじめ、平家関係者からも情報を集める。但し病弱のせいか伝聞・風聞・或人云うが多い。伝聞・風聞であるから、真偽明らかではない事も、後日真偽の確認のため記録するとしている。風聞は大袈裟だから注意すべしと云いながら、風聞等を実によく記録している。風聞を後日訂正している場合もあるが、修正してない場合も多い。特に義仲軍、頼朝軍の入京の風聞は各所に出てくるが殆ど修正していない。記述した事が真実とは限らない。
 その風聞の程度は約十分の一に割り引いて受け取る必要がある。その理由は本人も自覚しているように軍勢の数の風聞と実数の違いである。(寿永2年7月21日を参照)
 かなり神経過敏で、地震、雷鳴、大雨、大風などの天変地異にも驚き、官軍(平家軍)が大敗したとか、南都(奈良)の七大寺が焼き討ちされた、熊野の那智が荒れた、自分の意見が採用されない、除目(人事異動)が気に入らないときなど、得意の「可悲」(悲しむべし)、天下・王法・仏法・我が朝「滅亡」・「滅尽」、「未曾有」(みぞう)、「不能左右」(左右する能わず)、「可弾指」(弾指すべし)を連発し大袈裟である。又記録漏れもある。(「可悲(悲しむべし)」103回、「滅亡」68回、「滅尽」14回、「未曾有」172回、「不能左右」107回、「可弾指」59回、「天変地異」の記述672回・・・約40年間の回数)

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