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2006年2月12日 (日)

9.3 情報提供者の信頼度

9.3 情報提供者の信頼度

 「玉葉」では「風聞」、「伝聞」、「或人云う」、「人伝」が多い。(「風聞」176回、「伝聞」383回、「或人云う」235回、「人伝」107回・・・約40年間の回数)この「或人」は誰なのか、信用に足るのか。後日検証すると誤りも多い。義仲軍等乱暴の記述についても「或人云う」であり、兼実は病弱のため自分の眼では見ていない。多分、下級の役人か京都の庶民の何人かが市内外の情報を集め報告していたようである。自分の仲間の不正は報告するはずがない。信憑性に欠ける。風聞・伝聞・その他を報告する者も大袈裟にしないと意味が無い。「昨今売買の便を失う」と言わせているから商売人か。確実な情報は必ず情報提供者の名前を書いている。
 その他たまたま平家の追討軍の軍勢が家の近くを通ったので数えさせたら1080騎だった。これを普通世間では7.8千騎または一万騎と称している。兼実自身も「有名無実の風聞かくの如し」と「風聞の大袈裟ぶり」を確認している。「風聞」の程度は十分の一に割り引いて受け取るべしと。事件があったかもしれないが正確には不明と。被害があったかもしれないが正確には不明と。事件の数は十分の一に、被害の程度はやはり十分の一に割り引いて処理すべきである。
 兼実は平家など武家には反感を持っているが、何故か頼朝には期待している。兼実が義仲に反感を持っているとわかれば、義仲軍の悪評が集まる。一寸した事件も過大に報告され、記録される。その記事も九月五日を最後にぴたりと止まる。殆ど事件が無く報告しようが無いのだろう。
 なお10月14日に義仲が平家に敗れ、京都へ帰るので市内が大混乱になった。という記事がある。ある解説者の説明ではまた義仲軍が乱暴するのではと恐れたという。しかし、これは義仲が京都を撤退し、再び平家軍が入京すると、7月末の大混乱と同様な略奪が起きるのを恐れたようである。結局何も無かった。

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