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2006年2月 4日 (土)

8.頼朝の計略8.1 「源頼朝密かに法皇に奏すことあり」

8.頼朝の計略

 頼朝の計略により(1181年(治承5年)8月1日参照)、法皇公卿の間では既に平家追放の功績は頼朝第一、義仲第二とみなしていた(寿永2年7月30日参照)。にもかかわらず、義仲は頼朝などと無視しようとする。さらに天皇の後継問題にも口出しする(寿永2年8月14日参照)。気に入らない。頼朝の方がましかなと期待したようである。
 兼実は平家や法皇と意見の対立があり、義仲入京前(寿永2年7月27日)や、法住寺合戦のとき(寿永2年11月21日 )、義仲に一時期待したこともあったが、まだ見ぬ頼朝に期待が膨らんだようである。後に頼朝が次々に繰り出す巧妙な作戦にもしや我が朝滅亡かと不安を抱く(壽永3年2月27日)が、それは永い年月を経て現実のものとなる。後に頼朝の推薦により、関白・太政大臣になるなど朝廷の権力中枢となるが、結局、公家政権から武家政権への手助けをしたことになった。

8.1 「源頼朝密かに法皇に奏すことあり」
玉葉の1181年(治承5年)8月1日
「源頼朝密かに法皇に奏すことあり」
又聞く、去る日(源)頼朝密々に院に奏し云う、全く謀反の心無し。ひとえに君の御敵を伐つ為なり、
「頼朝源平両氏共に用うべき旨を申す」
もし猶平家滅亡されるべからずば、古昔の如く、源氏・平氏相並び召し仕うべし、関東源氏之の進止(進退)となし、海西平氏の任意になし、共に国宰(大臣、国司)においては、上より補されるべし。只東西の乱を鎮める為、両氏に仰せ付けられて、暫く御試み有るべきなり。且つ両氏孰(いず)れか王化を守り、誰か君命を恐るるや、尤も両氏の翔(ふるま)ひをご覧すべきなりと。
(現代文)
また聞いた。去る日に源頼朝が密かに法皇に申し上げて言いました。「全く主君にそむくつもりではありません。ひとえに法皇の御かたきを征伐する為です。もしそれでもなお平家を滅亡されないのであれば、かなり昔のように、源氏と平氏を共に召し使うとよいでしょう。関東は源氏の支配となし、海西は平氏の任意になし、共に国の長官は、朝廷より任ずるのがよいでしょう。只東西の乱を鎮める為、源氏と平氏の両氏に命令されて、暫く御試しされてはいかがでしょう。そのうえ源氏と平氏の両氏のいずれが法皇や朝廷を守り、どちらが法皇の命令を恐れるか、しっかり源氏と平氏の両氏の行動をご覧下さるべきでありますと。
(解説)
挙兵から1年でこのような密書を法皇へ出している。多分その後も度々出しているだろう。

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