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2006年2月 9日 (木)

8.5 壽永二年10月宣旨

8.5 壽永二年10月宣旨

閏10月13日 天気晴れ、
晩に及び、太夫吏隆職来たり世間の事談ず。平氏讃岐(香川県)の国に在りと。或る説に女房の船に主上並びに剣爾を具し奉り、伊予(愛媛県)の国に在りと。但しこの条未だ実説を聞かずと。又語り云う、院のお使い庁官泰貞、去る日重ねて頼朝の許へ向かいたり。仰せの趣殊なる事無し。義仲と和平すべしの由なり。
「頼朝の申請により東海・東山道の荘園公領を本の如く領知すべき宣旨あり」
そもそも東海・東山・北陸三道の荘園・国領、本の如く領知すべき由、宣下せらるべき旨、頼朝申請す。よって宣旨を下さらるの処、北陸道許り、義仲を恐れるにより、その宣旨を成されず。頼朝是を聞かば定めて欝を結ぶか。おおいに不便の事なり。この事未だ聞かず。驚き思うこと少なからず少なからず。この事、隆職不審に耐えず、泰経に問う処、答え云う、
「義仲を恐るるにより北陸道は入らず」
頼朝は恐れるべしと雖も遠境に在り。義仲は当時京にあり。当罰の恐れ有り。よって不当と雖も、北陸を除かれるとの由答えしむという。天子の政、あに以てこの如しや。小人近臣となり、天下の乱止むべきの期無きや。
(現代文)
夕方になり、太夫吏の隆職が来た。世間の事を話した。平氏は讃岐(香川県)の国に在りと。或るうわさ話しでは女官の船に天皇並びに三種の神器を備え、伊予(愛媛県)の国に在りと。但しこの話しは未だ真実の情報を聞かないと。又話した、法皇庁のお使いの庁官の泰貞が、去る日再び頼朝の許へ向かいました。法皇の命令の趣は殊なる事無し。義仲と和平すべしの事である。
「頼朝の申請により東海・東山道の荘園公領を本の如く領知すべき宣旨あり」
そもそも東海・東山・北陸三道の荘園や国有地を、本のように領有して支配すべきことは宣旨(天皇の命令文書)を下さいと、頼朝が申請した。よって宣旨を下した処、北陸道のみは、義仲を恐れて、そのような宣旨を下されなかった。頼朝は是を聞けば定めて不満に思うだろう。おおいに不便の事である。このような事はいままで聞いたことが無い。驚き思うこと少なくない。この事を、隆職は不審に耐えないので、大蔵卿の泰経に質問した処、次のように答えた。
「義仲を恐るるにより北陸道は入らず」
頼朝は恐れるべしと雖も遠方に在る。義仲は当時京にいるので、罰が当たる恐れが有る。よって不当と雖も、北陸道を除いたとの事を答えたという。天子の政治が、どうしてこのようなものか。大人でない者が近臣であるから、天下の乱が止むべきの期待は無いようだ。
(解説)
頼朝が東海・東山・北陸三道の荘園・国領、本の如く領有して支配したいと申請したのに宣旨では北陸道は義仲を恐れて外した。兼実は法皇は弱腰だと非難している。しかしこの宣旨は頼朝の関東における支配権を認めたものであり、鎌倉幕府の始まりでもある。義仲を牽制するために頼朝に与えた関東の支配権が後に公家政治の終わりに向かう。

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