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2006年2月22日 (水)

12.2 「平家物語」「延慶本」「猫間中納言」

12.2 「平家物語」「延慶本」「猫間中納言」Img_4335

さて兵衛佐いであはれたり。法衣に葛袴にて候き。容顔悪しからず、顔大きにて、少しひき太に見へ候。かほばせいうびに、げんぎよふんみやうにして、子細を一時のべたり

十八
 木曽義仲は都の守護にて有けるが、みめ形きよげにて、よき男にて有けれども、立ち居のふるまひの無骨ささ、ものなむど云たる言葉つきのかたくなさ、けんごの田舎人にて、あさましくをかしかりけり。理や、信濃の国木曽のやましたと云所に、二歳より二十七年のあひだかくれゐたりければ、しかるべきひとになれちかづくこともなし。今はじめて都びととなれそめむに、なじかはをかしからざるべき。
 のたまふべき事あつて、猫間の中納言光隆の郷、木曽がもとへおわして、雑色を以て、「参たるよし言え」とものたまひたりければ、雑色、「猫間の中納言殿のこれまでまゐるにこそ候へ。見参んにいれと申せと候」と言い入れたりければ、木曽がかたに、今井、樋口、高梨、根井といふ四人の切れ者有けり、そのなかに根井と云者、木曽に、「猫殿のまゐりてこそ候へと、おほせられさうらふ」と云たりければ、木曽こころえずげにて、「とはなむぞ。猫のきたとは何といふことぞ。猫は人に見参する事か」と云て、腹立ちける時に、根井又立ち出でて、使いの雑色に、「猫殿の参りたとは何事ぞ」と言い、「ごれうに叱らせたまふ」と云ければ、雑色をかしと思て、「七条ば右条壬生の辺りをば北猫間、南猫間と申し候ふ。是は北猫間に渡らせ賜い候じやうらふ、猫間の中納言殿と申しまひらせ候人にてわたらせ給候。鼠取り候猫にては候わぬなり」と、細々と云たりければ、そのときより心得たりげにて、根井木曽に詳しく語りたりければ、木曽、「さては人ごさむなれ。いでさらば見参せむ」とて、中納言を入れたてまつりていで会いけり。木曽「とりあへず、猫殿のまれまれわひたるに、根井物参らせよ」と云ければ、中納言あさましくおぼえて、「ただいまあるべくもなし」とのたまひければ、木曽、「いかが、けどきにわいたに、物まひらせではあるべき。不塩の平茸も有りつ。とくとく」と云ければ、「よしなき処へ来たりて、いまさらに帰乱事もさすがなり。かばかりの事こそなけれ」とおぼしめして、のたまふべき事もはかばかしくのたまわず。よろづ興冷めて、かたづを飲みておわしけるに、いつしかくぼく大ききなるごうしの、おびひきつけて渋塗りなるに、黒々としてけだちたる飯を高く大きに盛りあげて、ご菜三種、平茸の汁一つを敷きにすへて、根井持て来たりて、中納言の前にすえたり。おほかたとかくいふはかりなし。木曽が前にも同じ様にしてすへたり。すへはつれば、木曽箸を取てをびたたしき様に食いけれども、中納言は青ざめておわしければ、「いかに召さぬぞ。がふしを嫌い給ふか。あれは義仲が観音講に一月に一度すうる精進ごうしにて候ぞ。ただよそへ。不塩のひらたけの汁もあり。猫殿あひ給ふや」と云ければ、「食わでも悪しき事もぞある」とて、食うまねをせられたりければ、木曽はつるりと食いて、手づからがふしも皿も取り重ねて、中納言をうちみて、「ああ猫殿はてんぜい小食にてわしけるや。猫殿今少しかい給へ」とぞ申たる。根井よつて猫間殿の膳をあげて、「猫殿の御殿びとや候」と申たりければ、「いなばのさくわんといふ雑色候」とて参たりければ、「是は猫殿の御わけぞ。賜れ」とて取らせたりければ、とかく申すに及ばず、ひさげの下へ投げ入れたりけるとかや。

(現代文)Img_4336
頼朝がお出でになりました。法衣に葛袴(くずばかま)の衣裳でした。容顔は良く、顔は大きく、背は低く太めに見えました。顔つきは優美に、言語は、はっきりと区別がつき、詳細を一時話しました。

 木曽義仲は都の守護職を勤めていましたが、かおだちと姿は整っていて、良い男ではありましたが、日常の動作や人目につくような行動の無作法さや、ものなど云うときの言葉使いの聞き苦しさは、全くの田舎者で、はなはだしくおかしいものでした。道理である。信濃の国木曽の山下という所に、二歳より二十七年の間隠れ居たのであるから、しかるべき人に慣れ近づく事も無く、今初めて都の人と慣れ染まるのに、どうしておかしく無いことがあろうか。
 申すべき事がありまして、猫間の中納言光隆の郷が木曽の許へおいでになり、家来に、「参りましたと伝えよ」と申しましたので、家来が、「猫間の中納言殿がここまで参りました。お目にかかりたいと申しあげています」と言いながら入りました。木曽の方には、今井、樋口、高梨、根井という四人の側近がいました。そのなかの根井と云う者が、木曽に、「猫殿がまいりましたと、仰せです」と云いましたので、木曽は合点がいかないようすで、「とは何事か。猫の来たとは何という事か。猫が人に対面する事か」と云うて、腹を立てましたので、根井は又立ち出でて、使いの家来に、「猫殿の参りましたとは何事か」と言い、「ご主人に叱られました」と云いましたので、家来は可笑しく思いながら、「七条の右条の壬生の辺りを北猫間、南猫間と申します。こちらは北猫間においでになる公卿の猫間の中納言殿と申されるお方でございます。鼠を取る猫ではございません」と、細々と云いましたので、そのときより心得た様子で、根井が木曽に詳しく語りましたので、木曽は「それでは、人でありましたか。いやそれならば対面しよう」とて、中納言を入れて対面しました。木曽は「とりあへず、猫殿が珍しくおいでなのだ。根井、食事を差し上げよ」と言いました。中納言は意外に思い、「今時に食事とはとんでもない」と申しましたが、木曽は、「どうして、食事時においでなのに、食事を差し上げないわけにはいかない。不塩の平茸も有ります。早く早く」と云いましたので、「悪い処へ来た。といって、いまさらに帰るわけにもいかない。それほどの事もないだろう」と思い、言うべき事もなかなか言えず。万事興冷めて、かたづを飲んでおいでになりました。そのうちに深く大きな蓋付きのお椀の、おびひきつけて渋塗りのお椀に、黒々としてけだちたる飯を高く大きく盛りあげて、おかず三種、平茸の汁一つを食器敷きに据えて、根井が持て来まして、中納言の前に据えました。大方とやかく言う事も出来ない。木曽の前にも同じ様にして据えました。据え終ると、木曽は箸を取り、ものすごい勢いで食べましたが、中納言は青ざめておいでなので、「どうして食べないのか。お椀がお気に召さないのか。あれは義仲の観音講に一月に一度使用する仏事用のお椀ですよ。ただ盛りつけて食べなさい。不塩のひらたけの汁もあります。猫殿、食べなさい」と云いましたので、「食わないのも悪い事もあるかもしれない」と思い、食うまねをしましたので、木曽はつるりと食べ終えて、手づからお椀も皿も取り重ねて、中納言を見て、「ああ猫殿はまるきり小食でございますな。猫殿もう少し食べなさい」と申しました。根井はそこで猫間殿の膳を取りあげて、「猫殿の御家来はいますか」と申しましたら、「稲葉の左官という者がいます」と言うて参りましたので、「是は猫殿の御分けものであるぞ。もらいなされ」と言うて取らせましたが、とやかく言うまでもなく、縁の下へ投げ入れてしまったということです。

(解説)Img_4340
 貴族が粗末な食べ物を残し、従者すら残り物を捨てて帰った。この状況から京都付近は飢饉では無かったという説もある。しかし、貴族というのは特権階級である。当時の日本の全人口が数百万人ないし一千万人に対して京都の公家貴族はわずか数百人である。殆どの人民は農奴のような生活で生産物の殆どは税として徴集された。殆どの貴族は広い屋敷と蔵を持ち、飢饉に備えた。飢饉のときは蔵の備蓄が若干減るのみである。飢えた京都市民などがどさくさに紛れて蔵を開けて略奪したかもしれない。Img_4342Img_4341

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