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2006年2月 1日 (水)

7.4 「京中の狼藉及び兵糧用途如何すべきか」

7.4 「京中の狼藉及び兵糧用途如何すべきか」

玉葉1183年(壽永二年)7月30日「京中の狼藉及び兵糧用途如何すべきか」
1.仰せ云う、京中の狼藉、士卒の巨万の致す処なり。各その勢を減ずべき由、仰せ下さるる処、不慮の難怖れる処無きに非ず。これを為すいかん。兼ねてまたたとえ人数減ぜらると雖も、兵糧なくば、狼藉絶ゆべからず。その用途又いかん。
(現代文)
後白河法皇のお言葉がありました。京都市内の混乱、乱暴は武士の人数の非常に多いのが原因である。おのおのその軍勢の人数を減らすべきであると。法皇のお言葉ではあるが、減らし過ぎて平家が押し寄せる恐れ無しとは言えず、これをどうしましょうか。それにまた人数を減らしても、軍用米が無ければ乱暴は停止出来ない。その手段はどうしましょう
か。

[吉記]1183年(壽永二年)7月30日
 京中の追捕・物取等すでに公卿の家に及ぶ。また松尾社司(神職)等相防ぐの間、社司等の家に放火す。梅宮社神殿追捕に及ぶ。広隆寺金堂追捕に及び、度々合戦す。行願寺また追捕すと。成範卿院宣を奉り、時忠卿の許に仰せ遣わす。また内々貞能の許に仰せ遣わすの旨等有りと。
「京中守護義仲院宣を奉りこれを支配す。」
京中守護義仲院宣を奉りこれを支配す。
(現代文)
 京都市内の追捕・略奪等はすでに公卿の家に及んで来た。また松尾神社の神職等が防戦するの間、神職等の家に放火した。梅宮社の神殿に追捕が及んだ。広隆寺の金堂も追捕に及んだので、度々合戦となった。行願寺もまた追捕したようだ。成範卿は法皇の命令文書を頂き、平時忠卿の許に命令の使者を派遣した。また内々に肥後守貞能の許にも命令の使者を派遣する旨等有りと。
「京中守護義仲院宣を奉りこれを支配す。」
義仲は京都市内の守護職に任命する法皇の命令文書を頂き、守護職として京都を警備支配することになった。
(解説)
京都市内の追捕・略奪等が行われ、義仲がその取り締まりを命じられた。「吉記」の8月から10月分が見あたらないので、「玉葉」の風聞しか史料が無い。慈円の「愚管抄」によれば「かくてひしめきてありけるほどに」という表現である。追捕とか物取りとは表現していない。義仲入京前の混乱は追捕とか物取りと表現している。

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